前回のつづき。
賤機山古墳へ行った際、グーグルマップに1号墳と2号墳の記載があったので、賤機山(しずはたやま)の稜線を歩いて訪ねてみた。
八千戈神社脇の石段を上りきったところから、さらに上の石段へ。
石段の先には麓山神社。参拝後、さらに上へと登った。
進んでいくとあずま屋が。
その隣には「三代目一本松」の石碑と細い松があった。
反対側から見たところ。グーグルマップ上に印はあるが、現地には古墳の説明板は見当たらなかった。いかにみ古墳が築かれそうな場所ではあった。
後でこちらの「静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド」さんのサイトにて、ここが賤機山1号墳(一本松古墳)で、古墳時代中期の円墳で、銅鏡(獣形鏡)が出土していることを確認できた。
http://blog.livedoor.jp/shizuokak-izu/archives/3719590.html
そこから東側の眺め。
ズームすると伊豆半島の山も。
尾根の反対側(西側)もよく見えた。
さらに尾根道を登る。
墳丘的な土盛りも。
青空の下でのハイキングになった。
その先に本格的な土盛が。
土盛の上には石碑があった。
反対側から見たところ。
この場所も、先ほどの「静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド」さんのサイトにて、賤機山2号墳(麓山神社後古墳:はやまじんじゃじりこふん)・古墳時代中期~後期(5~6世紀)の横穴式石室を持つ円墳、であると知った。
石碑は「賤機山公園碑」で、大正3年の公園整備にて大刀・石枕が出土したと刻まれているそう。石枕は東京国立博物館所蔵とのこと。
http://blog.livedoor.jp/shizuokak-izu/archives/3719590.html
墳丘あたりから見た枝越しの富士山(ズームで)
富士山から右に広がるパノラマ。
上の写真では草の陰になっていた丘に谷津山古墳がある(右側の頂、距離2.5km)
葺石(拳大の川原石)で覆われた100m超の墳丘は、木々を刈ればここからも目立っただろう。あちらの方が200年早く造られている。
標高はこちら側が115mくらい、向こうが108mになる。
さらに細い尾根道を進む。桜並木があるので春は美しいだろう。
慰霊碑のある場所まで来た。
観音様が立つのは、静岡空襲戦禍犠牲者慰霊塔。
その隣にはB29墜落搭乗者慰霊碑もあった。
慰霊碑の左後ろ・北西方向には安倍川にかかる国道1号(バイパス)の橋が見えた。
ここが標高140mほど。東側には美しい富士が見えた。
さらに北へ700mほど歩くと賤機山の山頂(標高170m)はあり、城跡(賤機山城)にもなっているが次の機会とした。
ちなみに静岡の地名は明治の初め、「賤機山(しずはたやま)の丘陵」に因んでつけられたそうだ。