穴八幡古墳見学後は南に降りて県道11号沿いを東へ。古い家屋が残る趣のある街道でした。
斜面に鎮座する白山神社。
拝殿前には大きな洞のあるクスノキ。
背後から。第二形態に変わりそうな旺盛な生命力を感じました。
拝殿から振り返って。
街道に戻って先へ進みます。蛇行カーブが歩いていても心地よかったです。
三連の板張り木造家屋。
蔦の絡み具合がよいです。
そのすぐ南には槻川(つきかわ)の流れがありました。
さらに進むと、マップを見て気になっていた造り酒屋さんが。
晴雲酒造さんに寄るために、駅へ遠回りしました。
煙突は、米を石炭で蒸していたころの名残りだそうです。
中から見上げるという貴重な体験ができます。中は狭くて、掃除の大変さが想像できました。
晴雲酒造さんでは旧酒蔵の見学可。
2階へ上がると、麹室や吊るして絞っていた(であろう)開口部がありました。
試飲もできます。右の「おがわの自然酒」を購入しましたが、とても美味でした。
本当はもっと買いたかったですが、この後かなり歩く予定だったので断念。
http://www.kumagaya.or.jp/~seiun/
駅へ向かう途中に路地に入りました。
急に開けて観音堂。
県による説明板あり。
栃本観音堂(不動様)
所在地 比企郡小川町大字大塚
栃本観音堂は、奈良時代初期に行基菩薩が秩父に向かう途中、観音様を刻み小庵を安置したことに始まると伝えられている。栃本とは観音堂の南に接した地域一帯の地名である。
その後、平安時代に入り、坂上田村麻呂が蝦夷地平定に向かう途中堂宇を修復し、江戸時代には、徳川家康の慈光寺参詣に際して堂宇が再建されたと伝えられているが、元禄年間(1688~1707)落雷により観音堂が消失した。
現在の建物は明治時代の建築であるが、成田不動尊を勧請して以来、一般的には「不動様」と呼ばれ、近在の人たちに親しまれている。
昭和59年3月 埼玉県
街には昭和風の建物が多く残っていました。
小川町からは武蔵嵐山に戻る形にしましたが、こちらは逆方向、寄居行きの東武東上線。2005年春までは池袋から寄居までの直通がありましたが、今はここ小川町で乗り換える必要があります。
武蔵嵐山までの一駅は、通常の3駅分くらいあるのではないでしょうか。
車窓からの緑で視力回復しました?