墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新町館(三宅家住宅)~路地~伊賀坂 東京都文京区白山

前回のつづき。

お七の墓のある円乗寺からは、門の前の道を南へ進んだ。

途中に残っていた立派な煉瓦塀。

 

道がクランク状に突き当たるところに登録有形文化財となっている昭和前期の建物があった。

新町館(三宅家住宅) 文化遺産オンライン

東京都
昭和前/1926-1988
鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建,建築面積57㎡
1棟
東京都文京区白山1-29-5
登録年月日:19980902
登録有形文化財(建造物)
住宅兼法律事務所として建てられ、工事中に関東大震災に遭う。鉄筋コンクリート造陸屋根住宅の初期のもの。箱形の容器に縦長の開口部を穿ち、北面に玄関ポーチ、南面にベイウィンドウを設ける。ドイツ壁の仕上げとし、軒下にトリグリフ状の飾りを付ける。

 

ポーチの部分。

 

新町館の少し手前、住宅の間に気になる細道があった。

 

入っていくと左が開けて児童公園が現われた(白山一丁目児童遊園)

 

さらに下って路地が続く。

 

石段を降りて振り返ったところ。

 

上記で左手を見ると行き止まりだった。

 

 石段から続いていた道。

そのすぐ先は、6車線の白山通り。 

 

通りの対岸は小石川台地になる。蓮華寺では葬儀が準備されていたが、後で「山門不幸」の意味を知り、住職の葬儀であったことを知った。

 

 蓮華寺の石段上から見た白山通り。

 

白山通りを少し下ると、レンタカー店に隣の枝道に惹かれて小石川台地へ上ってみた。

行き止まりのように見えたが奥の左右に道があった。

 

道といっても私道かもしれないが。

 

反対側から見た様子。

 

その先に、名前のついた坂道があった。

 

指ヶ谷小学校の前にある説明板。

伊賀坂 白山2丁目28-29
白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔のままの姿を思わせる。この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。
伊賀者の同心衆の組屋敷があった(「御府内備考」)とか、真田伊賀守屋敷があった(「改撰江戸志」)という二つの説がある。
「東京名所図会」では真田伊賀守説をとっている。伊賀者は甲賀者と共に、大名統制のための忍者としてよく知られている。
文京区教育委員会 平成9年3

 

坂をすいすい上る電動自転車。

 

小学校の敷地に沿うように続く坂。

 

こちらの電動自転車。

 

坂上の行き止まり表示。

 

右へ曲る道があるが、東洋大学京北中学・高校で行き止まる。

 

上ってきた道を戻った。

 

指ヶ谷小学校の南西側には白山閣(日立製作所小石川迎賓館)があった。

検索すると設計事務所のサイトに建物写真があった。Hitachi Koishikawa Guest Hoouse

 

グーグルアースでも。

 

白山閣の門の前。

 

4輪も通れそうな仕様にはなっているが・・・

 

白山閣の南側の住宅地の道には速度を落とさせる「バンプ」があった。