墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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猿楽町~駿河台 男坂、女坂、アテネ・フランセ 東京都千代田区神田

少し前の7月下旬、登山の準備に西神田のさかいやスポーツへ行った際、白山通りの東側の猿楽町から駿河台を少し歩いた。猿楽町は渋谷区にもあるが、こちらは千代田区の猿楽町。

 

最初に向かったのは男坂。

本郷台地の舌の先、駿河台へ上がる急な石段が明治大学のキャンパスの間に抜け道のようにあった。

 

高低差は建物6階分ぐらいになる。

 

石段の途中に説明柱があった。大正期に区画整理により造られたとのこと。

この坂を男坂といいます。駿河台2丁目11番地の端から猿楽町へ下る石段の坂「女坂」に対して名付けられたものです。この坂のできたのも比較的新しく大正13年(1924)8月、政府による区画整理委員会の議決により作られたものです。男坂は同一場所、あるいは並行してある急な坂を、女坂はゆるやかな坂というように区別されて名付けられています。

 

中間地点には、斜面への鍵のかかった出入口。管理用か。

 

その奥にはバナナの木?

 

そのあたりから振り返ったところ。

 

坂上には昭和50年に設置された石があった。

 

上から見下ろすと、少し足がすくんだ。 

 

坂上の道を北西に進むと「女坂」があった。

 

坂上に説明柱。

この坂を女坂といいます。駿河台1丁目7番地の端から猿楽町に下る石段の坂”男坂”に対して名付けられたものです。男坂が一直線の急坂であるのにくらべ、中途で中やすみするようになっているので”女坂”と呼ばれています。この坂のできたのは、大正13年(1924)8月、政府による区画整理委員会の議決により作られたものです。千代田区

 

踊り場はあるものの、こちらも結構急坂。その踊り場ごとに隣接する建物への出入口があった。

 

途中で見上げたところ。

 

途中で横をみるとカーブの優美な石垣があった。

 

下から見上げたところ。

 

石段を上り返してさらに進むと波打つ壁の建物があった。

 

アテネ・フランセだった。建物は1962年竣工、設計はル・コルビジュエに学んだ吉阪隆正 - Wikipedia(よしざかたかまさ)

 

学生時代に古いフランス映画を見に何度か来た覚えがある。つまりここに来るのは30年ぶりくらいか。

 

チョコの化粧箱のような壁面。時を経ても古くなっている感じがしなかった。

つづく。