墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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東急目黒線沿いの坂 東京都品川区上大崎

東急目黒線の不動前駅付近と目黒駅との間は、トンネルを出て川を渡ってまたトンネルというルートを通る。

目黒駅へ向かう途中、左側の車窓から急坂が見えたので行ってみることにした。

 

こちらは目黒川にかかる市場橋。

 

橋名は立派な石に刻まれていた。

 

しながわ観光百科さんのサイトによれば、ここは中央卸売市場・荏原分場の入口だったとのこと。昭和11年に開設された青果物市場だったが、平成16年に大田市場に移転し、跡地に品川区の西五反田在宅介護センター等が建っている。

 

市場橋と目黒川の様子はライブカメラでも見られるようになっていた。

JWA気象情報:観測データ表示

 

橋の対岸には25階建てのマンション建ちつつある。住友不動産のサイトを見ると平成28年9月から販売開始、来年4月から入居開始とあった。

 

市場橋と隣り合うように亀の甲橋もかかる。

 

さらに隣には東急目黒線の橋がかかる。

 

上流側の桜並木。この先に目黒雅叙園がある。

 

橋のそばにあった説明板。現在流れている水は新宿区上落合の水再生センターで処理した再生水なのだそう。

 

線路の西側の坂道を上り始める。

 

ストレートに上り詰めて左折し、さらに上る。

 

不動前方向を振り返ってズーム。

 

この向こうは切れ落ちているはずだがなぜ壁が?

 

さらに登って振り返って。さきほどのマンションが見える。

傾斜があって距離もあって名坂だと思うが、坂の名前はついていないようだった。 

 

その先は道の両側が杉野服飾大学となる「ドレメ通り」

堂々とした建物の衣装博物館もあったが開館時間を回っていた。

 

以下は公式サイト杉野学園衣裳博物館 より。

杉野学園衣裳博物館は1957(昭和32)年に開館した日本で最初の衣裳博物館です。
学園の創立者杉野芳子先生は日本の社会への洋装の普及定着とモードの創出に取り組まれ、その基盤となる服飾教育を確立されました。日本で服飾教育を進めるためには西洋衣裳の歴史的展開を身近に観察する場が必要であると考えた先生は、自ら収集した西洋衣裳を展示する博物館を開設して教育実習の場としました(中略)
JR目黒駅から程近く、杉野服飾大学・同短期大学部、ドレスメーカー学院の校舎に囲まれた「ドレメ通り」にある当館へぜひお越しください。

 

ストレートな石の角柱がすっくと立つ。

 

設計者の杉野繁一氏(杉野学園の初代理事長)はアメリカで留学中の杉野芳子氏と知り合って結婚したが、スタンフォード大で学んだ建築家だった。

 

建物の前に銅製の仏塔が厳重に設置されていた。

 

説明板があった。

由緒
この「塔」に附してある紋は徳川家の本紋(三葉葵)であり、水戸光圀(1628~1700)の命により鋳造されたものである。
明治の元勲、高橋是清が赤坂の自邸に移し、その後息子の高橋是賢が目黒夕陽ヶ丘に移して愛好した。
昭和24年9月に杉野学園が譲り受けたものである。当時の鋳造技術の精巧さを示すものとして大変貴重な文化財である。学校法人杉野学園

 

 別の一画には坪庭も。

 

説明版がないと見過ごしてしまいそうだった。

 

ドレメ通り沿いには喜多能楽堂もあった。

これから機会があれば触れてみたい世界。喜多能楽堂

 

こちらは杉野夫妻の旧居・杉野記念館。昭和13年の築だが戦災でも焼失を免れて残っている。

申し込み制で公開もしているよう。訪ねてみたい。 

杉野記念館のご紹介|杉野服飾大学・杉野服飾大学短期大学部 同窓会