「オープンしなけん」の日の、最後に訪ねたのは目黒駅の近くにある杉野記念館。
杉野学園の創立者である杉野繁一・芳子夫妻が終生を過ごした旧居で、夫妻の没後に学園に遺贈され、現在は杉野記念館として公開されているが、通常は予約しないと見学できない。
柱や壁に貼られたスクラッチタイルが美しい。
玄関左側の側面。
玄関のステンドグラスの外側から。壁下側に貼られた石は斜めの線がアクセント。
シンプルだけれども手が込んでいるのでは。
入口脇に説明板があった。
杉野記念館
杉野学園本校舎と衣装博物館に挟まれ、杉野ホールに面している杉野記念館は、創立者杉野夫妻杉野繁一・芳子の旧居であり、現在さまざまな学園行事に随時使用されています。
設計は、初代理事長であり、芳子の伴侶であった杉野繁一によるもので、昭和13年(1938)に建てられました。
繁一は、米国ファーグソン建築会社の設計技師で、二人は米国で知り合い結婚。大正9年(1920)に帰国。1926年の学校創立を経て、結婚21年目に「やっと持てた」自宅への思いを、芳子はその自伝「炎のごとく」で次のように述べています。
「地味だけれども光輝く風格がにじみ出ていて軽薄さのみじんもない、いぶし銀のような落ち着き。しかもスタンフォード大学で学んだ専門技術の上に、重ねてきた体験と熟練した腕と新知識を思うがままに生かして、採光、換気、間取りなど、合理的に工夫されているのです。」
昭和20年(1945)の東京大空襲でドレメの校舎の大半が焼ける中、焼失を免れたこの自宅は、戦後の再興期に二階の一部が教室として利用されたこともありました。現在も二人を偲ぶ品々が治められています。
(後略) 平成24年1月
玄関床面のタイル。
玄関のステンドグラスを内側から。
玄関扉の上にも。
扉全体の様子。
はいってすぐに2階への階段が。
階段脇にはミニ応接。
その背面側に、二間続きの洋室があり、素敵なドレスの数々が展示されていた。
床は組子細工。
廊下には、ドレスメーカー学院がつくった1964東京五輪のコスチューム試作品も展示されていた。
この日は通常非公開の2階も見学できた。
階段のステンドグラス。
手すりのカーブ。
2階の一部屋目は洋室。
もう一部屋は仏間もあるお座敷だった。入室不可で部屋の外から見学。
窓の外には桜の木が。
その桜の庭へも回ってみた。大きくはないが、しっかりとした庭園があった。
向かい側に建物。
洋間の張り出し部分は増築でしょうか。
玄関上の窓の意匠が可愛らしかった。