前回のつづき。
神田川の南側を西に進み万世橋に出た。
南岸、東側の親柱。
橋の東側面。あとで写真を見ていて対岸の川面近くに小部屋があることに気づいた。
こちらの記事で、手前側にも階段室のような施設があることを知った。万世橋の船着場或いは舟運の監視所という説が紹介されているが、正確な記録は残っていないようだ。
勝鬨橋のような空間が広がっていたら面白いと思いましたが、跳ね橋ではないのでありえないですね。橋の設計者の記録も見当たりません。
重要文化財 勝鬨橋見学ツアー(後編)・橋脚内部 - 墳丘からの眺め
万世橋上から神田川下流方向。1.5km先で隅田川に出る。
橋から北方向の中央通り。総武本線の橋が架かる。
日曜日の秋葉原・歩行者天国は大勢の人で賑っていた。
総武本線を左に追っていくと昌平橋交差点の上に架かる松住橋架道橋(昭和6年・1932年竣工)が見えた。
万世橋上から神田川上流方向。
万世橋の石壁には「昭和五年三月完成」の銘板。
川向こうには旧万世橋駅・旧交通博物館であるマーチエキュート。
美しい煉瓦の連続アーチが残る。
川沿いにウッドデッキも。
ウッドデッキから見た万世橋。
グーグルアースで。
背の高いビルの向こうの高架線の下がマーチエキュート。
隅はゆったりとした曲面。
この街灯は万世橋の親柱のもの。
中央通りに面した入口。
旧万世橋駅は明治45年(1912)年に開業。東京駅と同じく辰野金吾が設計した壮麗な赤レンガ駅舎があったが関東大震災で焼失し、平屋の駅舎が建てられたが昭和18年(1923)に休止した。戦時中まで駅前広場に日露戦争の軍人、広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像が建っていた。1936年に鉄道博物館が併設され、交通博物館となって2006年まで開業していた。2013年に商業施設「mAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋」としてリニューアルされた。
(万世橋駅 - Wikipediaより)
中央通り側の店舗入口。
上には線路の終端がある。
中には雑貨店やカフェ、バルなどの店舗が入る。リニューアルの設計は、みかんぐみ。
天井に橋脚がむき出しになっているところもあった。
このときは「にゃんこWEEK」のイベント開催中だった。
外へ出て南側から見た様子。
美しい煉瓦遺構。
地下の旧駅舎基礎が見られるところもあったが、反射でよく見えなかった。
各アーチの下に店舗が入る。有楽町ガード下とは違ったおしゃれな雰囲気。
その並びに、上部の旧プラットフォームへの入口があった。
「1912階段」と名前がついている。
明治45年(1912)の万世橋駅開業の時に作られた階段で、1936年の鉄道博物館開館後は、ホームから博物館に直接入館できる特別来館口として使われていたとのこと。階段の素材は厚い花崗岩や稲田石で、壁面のタイルには東京駅のレンガなどに見られる覆輪目地(ふくりんめじ)という、目地を丸く山のように盛り上げる施工がされている。
天井まで綺麗に貼られたタイル。
ホームへ上がって振り返ったところ。
プラットフォーム上の屋内にカフェがある。両脇を中央線快速が通る。
カフェには寄らず通路を進むと、別の階段に行き当たる。線路は神田駅方向。
階段を下りて振り返ったところ。カメラを持って電車を待つ人々が。
こちらの階段の名前は「1935階段」
鉄道博物館が建設された1935年に設置された。1943年の駅休止まで間、ここが駅の階段として使用されましたそう。1912階段とは異なり、踏面はコンクリート、壁面のタイル目地も平目地の仕上げ。
駅として使われていたときのポスターの一部が展示されていた。
こちらのJR東日本のサイトに詳しい解説があった。ライブラリーやAR体験のことは知らなかったので再訪したい。旧万世橋駅
外に出て振り返ったところ。隣に背の高いビルが建つが、接する部分は吹き抜け状になっているので煉瓦遺構が良く見える。
「JR神田万世橋ビル」なので上記のような配慮ができたか。
ビルの南側には万世橋駅や交通博物館の時代のパネル展示があった。
時間の流れを現しているようなポールがあったが、この位置の意味はわからなかった。
広瀬武夫 - Wikipediaの銅像があった場所だろうか?
つづく。