前回のつづき。深谷のホフマン輪窯の見学後に立ち寄った。
上武道路で利根川を渡って県道142号(東国文化歴史街道)を東に向うと「牛沢団地入口」の交差点の南東角に大きな墳丘があった。
朝子塚古墳(ちょうしづかこふん)
全長124m、高さ(後円部)は12m近くある前方後円墳。
説明板。
群馬県指定史跡 朝子塚古墳(ちょうしづか)
指定:昭和54年7月11日 所在地:太田市大字牛沢字朝日塚
墳丘の全長約124mの大前方後円墳で、後円部に比較して前方部が約5m程低く細長い形態を示している、このため古墳の造形は非常に優美である。周堀は墳丘に沿って一周していると推定され、又、墳丘には川原石による葺石が全面にしかれている。
墳丘裾部には古式の大形円筒埴輪の方形配列が認められ、その列中に埴輪の祖形と見られる底に孔をあけた壺形土器が発見されている。埴輪の種類には、円筒埴輪・朝顔形埴輪・壺形埴輪・家形埴輪等が認められている。
主体部は竪穴式石室系のものと考えられ、群馬県における古式古墳の典型と見られている。古墳の築造年代は4世紀末~5世紀初頭頃であろうと推定されている。
昭和55年3月 群馬県教育委員会 太田市教育委員会
左の県道142号が後円部を少し削っている。
手すりのついた石段があった。
石段を上がったところから。結構急な斜面。
墳丘にはお堂がある。 グーグルマップには雷電神社とあった。
大きな太い樹も数本。
若葉なので木の下も明るい。
墳丘周囲の樹木は繁っていて、あまり眺望はなかった。
工場の煙突のようなものが見えた。
利根川は南に1.5km、途中1kmを石田川が流れる。
昇寛さんによる関東甲信百名墳のひとつ。
朝子塚古墳の頁では桜に覆われた後円部の姿を見ることができる。
また、あとで調べていたらWEB上に太田市教育委員会が作成した「太田市の古墳」という、とてもわかりやすいpdf資料があった。
http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/kankoubutu/files/otashinokofun.pamph.pdf
上記によれば、朝子塚古墳からは家形埴輪・盾形埴輪・壷形埴輪や円筒埴輪が出土しており、後円部墳頂には方形に区画するように埴輪列があったと想定されるそうだ。
お堂の背後は、急斜面になっている。
地表には葺石か。
説明板に、前方部が後円部より5m低いともあったが、斜面が急であるのは鞍部を横切る道がついていたからだった。
右が後円部、左が前方部。
小道から見上げる墳丘。
左が後円部、右が前方部。
前方部墳丘。
前方部鞍部から裾方向。
前方部裾から見た墳丘。周溝は畑になっていたが、きちんとくびれが認識できた。
同じ太田市内にある東日本最大の前方後円墳・太田天神山古墳(男体山古墳)や太田天神山 女体山古墳はここから北東に4kmほどの場所にある。