墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

重要文化財・旧日本煉瓦製造ホフマン輪窯特別公開 

4月末の土曜日、4/29~5/1の3日間で公開されていた”ホフマン窯”を深谷に見に行った。

1月に行ったときは通常非公開ということを知らなかったので「再訪」

重要文化財・日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧事務所(煉瓦資料館) 埼玉県深谷市上敷免 - 墳丘からの眺め

 

「特別公開」の手作り看板に期待が高まる。

 

入口前で受付(入場無料)をして上屋の中へ。

中の壁面に解説や写真パネルがあった。

日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 ホフマン輪窯6号窯

重要文化財(建造物) 平成9年5月29日指定

ドイツ人窯業技術者フリードリッヒ・ホフマン考案の大量生産用煉瓦焼成窯である。全長56.5m、幅20m、高さ3.3mの総煉瓦構造で、内部には18の焼成室がある。各室には煉瓦の搬出入口、燃料の石炭投入口、排煙口が設置されている。この焼成室を窯火が巡りながら常時煉瓦を焼成することにより、月産約65万個の煉瓦生産高を実現していた。操業当時、窯は地上3階の木造上屋に覆われ、2階は燃料投入室、3階は煉瓦乾燥室とされた。

本窯は明治40年に建造され、昭和43年までの約65年間生産を続けた。現在上屋は撤去されたが、残った柱材、2階床面と燃料搬入用のトロッコレールが操業時の様子を伝えている。

煙突も当初煉瓦造だったが、関東大震災により倒壊、現在の鉄筋コンクリート構造となった。深谷市教育委員会

 

操業時の勇姿。

 

こちらが現在の様子。

煙突の下方にかつての三角屋根上部の位置が残っている。

 

窯の平面図。

焼成室は18の単位に分かれ反時計回りに順々に焼かれていく。ひと部屋で18,000個の煉瓦が焼かれ、2~3週間で1周していたそうだ。

連続して焼かれるので、盆も正月も作業は続いていたとのこと。

 

3階の乾燥室の様子。

 

屋内には写真に写っていたトロッコも何気なく置かれていた。

 

振り返ると窯の外壁。

 

窯自体も重厚な煉瓦造り。

 

斜めに穿たれた搬出口からヘルメットを着用して、いざ内部へ。

 

内部には煉瓦のトンネルが広がっていた。

 

安全確保のため、この位置からの見学のみで奥へは入れない。

 

ズームすると最奥部のカーブも見えた。

 

壁の穴は燃料の石炭の投入口。

 

 真上の天井部の投入口。2階の投炭フロアの写真パネルを撮りそびれたが、一緒に見学していた地元の方が、子供のころはそこから芋を吊るして焼いたことがあると言っていた。窯の上部の厚みは70cmほど(内部高2.6m)あるので、上まで熱は伝わらなかったとのこと。よく考えられている。

 

焼成室では適度にスペースを開けながらも煉瓦がぎっしり積み上げられる。乾燥した煉瓦だが焼かれると縮むので、全体の高さの沈み具合で焼成度をみたのだそうだ。

 

壁の最下部の穴が排煙口。煙は下から中央の煙突へ送られていたが、焼成中の次の部屋にあらかじめ煙を送り、その熱で焼き始めていた。

ちなみに、煉瓦の素材は9割が土(粘土)で残りが砂。あとは石炭が燃えるだけなので、排煙の匂いはなかったそう。

 

反対側のカーブ。

 

壁の一部が少しずれてそこから砂がこぼれていた?

窯は煉瓦造りだが内部には砂なども充填されているようだった。

 

再び搬出入口から外へ。斜めに積まれた煉瓦が美しかった。

 

資料館も再訪。

 

煉瓦の素材である土と砂をこねる機械。これとホフマン窯で大量の煉瓦製造が可能となった。

 

窯の断ち割り模型もあった。さきほど入った焼成室の上の投炭孔、その上の乾燥室の構造がよくわかった。

 

なんと栃木県野木町のホフマン窯も修復が終わって、5/10~15でグランドオープンとのこと。こちらは楕円形でなく円形のホフマン窯。

こちらにも行ってみたい。

 

※追記 早速行ってみました。

重要文化財・旧下野煉化製造会社煉瓦窯(野木町煉瓦窯ホフマン館) 栃木県野木町 - 墳丘からの眺め

 

受付でミニチュア煉瓦のペンダント(300円)を購入。


実際に首にかける機会はあまりないと思いますが、手触りが最高です。

 

つづく。