前回のつづき。
谷保古墳での古墳ツアー終了後に、そこから徒歩5分ほどの場所にある江戸期の民家を見に行った。こちらも東京文化財ウィークの一環での期間限定公開物件。
歩道が狭い甲州街道を500m近く東に進む。
途中に「やぼろじ・やまもりカフェ」という魅力的な店があったが次の機会とした。
目指す建物は小道を隔てた隣の敷地にあり、文化財の薬医門は長い木塀の東の端で甲州街道に向かって立っていた。
下は甲州街道を渡ったところから見た薬医門。
本田家住宅主屋・薬医門 国登録有形文化財
下記は文化財ウィークのパンフより転載。
「甲州街道に面した、元名主の格式を伝える大型の近世民家です。主屋に客用玄関を構えた食い違い六間取の平面を持ち、享保16年(1731)の祈祷札より、建立は江戸中期に遡ると考えられます。薬医門も旧家の表門にふさわしい大型のものです」
ボランティアのガイドの方にいろいろ説明いただいた。
本田家は医者もやっており、馬に乗せた患者をそのまま敷地内に運べるように、高くつくったのが薬医門とのこと。
建物平面図を撮らせていただいた。部屋の数が多い。
本田家住宅について(いただいたコピーより)
「本田家は、江戸初期から350年続く下谷保村の名家。遠祖は鎌倉の武将・畠山重忠の郎党、本田次郎近経。谷保村の時代、歴代当主は、医家・書家・名主として村人の中心にいた。現当主が16代目。
本田家住宅は平成23年に国登録有形文化財に登録された。
「喰違形六間型」の都内最古例で、慶安年間(1648~51)の建築ともいうが正確には判らない。近年発見された祈祷札によると享保16年(1731)には既に建築されていたと考えられ、その時点からでも280年を経過している。300年の時を経た重要文化財クラスの建物といえる。薬医門の建築は嘉永2年の増築時のもの。武家屋敷に匹敵する格式をもち、旧家の表門に相応しい」
東側の縁側と薬医門。
東側から見た内部。
年季の入った玄関。
土間へ続く通用口。
はいって右側。すぐ右の部屋では、当家とは縁続きになる土方歳三が書を習いに通ったこともあるそうだ。
はいって左側の間(元は風呂場)奥の間の書棚には沢山の本が並んでいた。
建築面積が広いので、屋根も大きい。今は金属板になっている。
5,6年前までは、おばあさんが一人で住まわれていたそうだが、その方が亡くなってからは無人になっている。
屋根を茅葺にしたり柱を補強すれば文化財的価値も高まるだろうが、屋根を葺くだけで数千万円の高い方の費用がかかってしまうらしい。
柱が傾いている箇所もあった。
なんとかならいものか、と思いつつその場を後にした。
甲州街道のポストは、旧タイプが現役で仕事をしていた。