三条塚古墳は「飯野陣屋跡」の中にあった。
下の地図は、三条塚を経て飯野神社を通りかつての大手口を通り抜け、濠を回り込んで「現在地」に達したときにあった案内板。
左上の細道の先が割見塚古墳にあたる。今は古墳の頭上から左上の道が外とつながっている。
上記は、あとから知ったので、この辺りかと思いながら進むと木立の盛り上がりがあり、周堤の道を東側へ回り込んでいくと、奥に入り口があった。
案内板が整備されているのは嬉しい。(あっても入れないのは寂しいが)
・三条塚古墳 前方後円墳 墳丘122m 周溝193m 6世紀末頃
内裏塚古墳群で2位の大きさ、6世紀末頃の前方後円墳としては東日本最大の規模だそうだ。
木立の中には別の案内板(昭和48年)も。幕末に飯野藩校・明新館が建てられて、古墳の東側がコの字型に削られている。
今は光が差し込むが、これからの季節は鬱蒼と暗いだろう。
後円部登り口に天井石の一つが露出している。B6版の本と較べると大きさがわかる。
この天井石から奥の部分は昭和48年時点では「未発掘」だったそうだ(1989年発掘調査)
墳丘上は一応歩けるようになっている。
後円部から前方部。
前方部から後円部。
前方部の端。
古墳の西側と南側は、水をたたえた周溝があり、渡れない。
入り口まで戻り、回り込んで進むと神社があった。
続く。