11月2日の夜、翌3日から12月10日まで開催される明末清初の中国絵画展の内覧会に参加する機会があった。
会場は六本木1丁目の泉屋博古館分館。
本館は京都にあり住友家のコレクションが母体。中国古代の青銅器、明清時代の絵画などで著名であり、分館は2002年に別子銅山開坑300周年事業として建てられた。
自分は30年ほど前、京都の本館で石濤(せきとう:1642年~1707年)の作品を見て感銘を受けたことを覚えている。分館が出来てからこちらで展示されたこともあったようだが気がつかずにいて、やっと今回機会が得られとても嬉しかった。
石濤の黄山図巻(1669年)は、縦30cm弱、横180cm強のそれほど大きくはないが、中腹に雲をまとった奇岩が並び立つ中に、旅人の一行が右から左に向かって進む様が1cmに満たない大きさに描かれている。岩肌は地質や光が淡い彩色で表現され、細い線にも”かすれ”があり活き活きとして動きが感じられる。
静止画なのに動画のようて、しかも奥行の深い世界が広がっていた。
世界に数点しか残っていないといわれる石濤の真筆のうち3点を所蔵する当館だが今回他の2点、黄山八勝図冊・廬山観瀑図も展示されるだけでなく、京都国立博物館が所蔵する1点、黄山図冊も並べて展示されている。
図冊は形状の関係から展示ケース内で開かれている一面しか見られず、通常展示替えがあっても3面ぐらいしか見られないが、今回の展示では黄山八勝図冊は3,4日ごとに8面すべてを、もうひとつの名品、八大山人の安晩帖に至っては20面全部が見られる大サービス(20回通えばだが)
内覧会は、分館の野地館長と当展の監修もされた東大の板倉教授の話を伺えるという贅沢な構成となっていた。
※下記の写真撮影は、内覧会時に美術館より特別に許可を頂いています。
展示は2室。
最初の部屋で、まず目にするのは徐渭(じょい:1521年~1593年)の花卉雑画2巻。右が1575年に描かれた東京国立博物館所蔵のもの、左が1591年に描かれた当館所蔵のもの。
板倉先生によると、生きている間に見たかった3つのうちの1つがこの両者を並べて見ることだったそうだが、それが実現してしまった展示になっている。
一気呵成に書かれているようで墨の滲み方や白い部分の残し方など、周到に計算されているとのこと。後に描かれた方が濃淡がはっきりする。
続くは明末奇想派のコーナー。米万鍾(べいばんしょう:1570年~1628年)の柱石図(右:根津美術館蔵)や寒林訪客図(その左:橋本コレクション)のうねるような奇岩。
董其昌(とうきしょう:1555年~1636年)の山水図冊(左)は東博から。張瑞図(ちょうずいと:1570年~1641年)の山水書巻(右)は妖しく光る布地の金箋(きんせん)を近くで見ることができた。
さらに李子達(りしたつ:1540年頃~1621年~?)ら蘇州の文人画家の名品が並ぶ。
第1室と第2室をつなぐ通路には、ポスターに一部が使われている漸江(ぜんこう:1610年~1664年)の竹岸廬浦図巻と江山無尽図巻、どちらも当館所蔵。
これも眺め飽きることのない作品。
そして第2室が明末四和尚の作品がある部屋。漸江、石渓(せきけい)、石濤、八大山人(はちだいさんじん:1626年~1705年)の「四画僧」は、いずれも明から清へ変わる動乱期に清朝の追及を逃れるために出家している。
中央ガラスケースに八大山人の安晩帖。20回も展示替えするのは美術館にとっては大変こと。
ポスターにある魚は11/9~11/11の3日間のみの展示。(レプリカは通期で展示)
部屋の一番奥に石濤の廬山観瀑図(右)
もうひとつの中央ガラスケースに黄山八勝図冊。
そしてやはり惹かれる黄山図巻。
ブログ名と違うではないかとのご指摘もあろうかと思われますが、 ブログがきっかけでこのような貴重な場に参加できる機会を得ることができ、ブログを始めて続けていて本当によかったと思った一時でした。
「世界の宝」が見られる展覧会だと思います。
なお、当館の展示は静嘉堂文庫での展示とコラボレーション開催となっていて、李子達など同じ画家の作品を見られるほか、入場券の割引もあります。
この貴重な機会に、両方を見られることをお薦めします。
意外に開催期間が短いのでご注意を。
一般800円。
自分は、黄山八勝図の第6図、温泉で楽しんでいる様子を見たいので、11月26日から12月1日までの間に再訪したいと思います。
下記は図録(2200円)より。図録も素晴らしいです。