日吉神社を訪ねた後は、参道から380mほど西北西の不孝寺塚古墳へ。訪問時にはグーグルマップにピンが立っていたように思いますが今は無いようです。
古道の趣のあるこの道の左に、墳丘と説明板が見えていました。
かろうじて残っているような墳丘です。
説明板には、石棺内部の写真も!
県指定重要文化財(史跡)
不孝寺塚古墳
岐史第三八号(昭和32年3月25日指定)
不孝寺塚古墳は広見・羽崎古墳群の中に位置する。墳丘は三分の二ほどが削平され、石室部分から北東部分が残存し、本来は直径20mを超える円墳であったと推定される。石室の西側の壁体も積み直しによるものである。玄室内には凝灰質砂岩(サバ石)製の家形石棺が原位置を保つものの、盗掘にあっている。
明治20年(1887)頃に遺物が発見され、石棺内部に人骨、金環二個、銀環一個があり、また棺外には玄室入口左右の隅に皿を置き、その上に直刀をたてかけ、石棺の前に土器を置いていたということであるが、遺物は現在失われてしまっている(『岐阜県史蹟名勝天然記念物調査報告」二岐阜県)
残存墳丘:南北11.4m・東西11.1m・高さ4.0m
主体部構造:横穴式石室(両袖式)、玄室幅1.15m、高さ1.9m 家形石棺
築造年代:6世紀紀後半頃
平成23年3月 可児市教育委員会
墳丘の様子。
回り込むと、開口部はとてもしっかりと土嚢で閉塞されていました。
庭木の手入れをされていた近所の方に伺うと、危なくなってきたので1年前に塞いでしまったのだそうです。
一足遅かった…
ぺんさんは間に合っています。
開口時の写真は可児市や岐阜県のサイトでも見られます。
不孝寺塚古墳[ふこうじづかこふん] - 岐阜県公式ホームページ(文化伝承課
2024年12月上旬訪問