墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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常名天神山古墳 茨城県土浦市常名

今回からは、2024年9月下旬の土浦・石岡(八郷)近辺の古墳を。半日でしたが、お彼岸過ぎての、久々(3か月ぶり)の墳行でした。

 

最初は、土浦北ICの近くの常名(ひたな)天神山古墳へ。

 

古には霞ケ浦が入り込んでいたであろう平地。1㎞ほど先(西)に桜川が流れています。

 

ミラーの後ろから振り返った小山。その中に常名天神山古墳があります。

 

古道の香りのする道路沿いに神社の鳥居。車は先ほどの低地の道路沿いの広いところに停めました。

 

大きな標柱がありますが、参道入口は草ぼうぼう。

 

かきわけて入って振り返って。

 

その先は普通に歩けました。

 

上がって振り返ると結構な高さ。

 

頂上が後円部で、その上に常名神社があったようですが…

 

無残な姿に。

 

すぐ脇に、黒焦げの切株。

2023年5月7日の深夜に燃えてしまったそうです。

茨城・常名神社が全焼 御朱印ブームで「隠れた人気スポット」 | 毎日新聞

 

後円部先端方向。

 

そこから振り返った神社跡・後円部墳頂。

 

半分焦げた桜の木。

 

その向こうに前方部。

 

後円部裾にある説明板。現況で墳長70m、元は90mと考えられる前方後円墳です。

市指定文化財 常名天神山古墳 
史跡:平成3年(1991)3月1日指定
この古墳は、桜川に面する台地の端に西面して築造されている前方後円墳である。その規模は、全長約70mであるが、一部削り取られているため、本来は約90mもの長さがあったものと思われる。後円部の直径は約45m。高さは後円部6.87m、前方部4.25mである。後円部には常名神社が祀られ、前方部にも小さな祠がある。
墳丘の形態及びその規模からして、5世紀初め頃の県下を代表する古墳と思われる。

平成9年(1997)1月 土浦市教育委員会

 

実測図部分。

 

そのあたりから前方部方向を。

 

前方部先端脇の”小島”は、もとは前方部の一部だったのでしょうかね。

 

そのあたりから振り返った墳丘。

 

現在の前方部先端側を。

 

前方部墳頂には、安土桃山時代の宝篋印塔が置かれています。

市指定文化財 石造宝篋印塔 
工芸品 昭和46年(1971)7月13日 指定 
過去の重罪を消滅し、現在の災害から免れ、未来の極楽往生を祈るために「宝篋印陀羅尼経」を納めた供養塔を宝篋印塔という。
基礎が一段の関西型に対し、関東型は二段になり、上段も下段も二区に分けられ、下段の反花に格狭間を彫りだしているものが多い。この石塔は基礎の下段以下が欠落している。石質は、花崗岩で、現高は135㎝である。市内の宝篋印塔の中では最も古く、安土桃山時代の作と推定される。

 

前方部上に4つ並ぶ祠。

 

祠の脇の前方部に上がって、後円部方向を。

 

こちらのお地蔵さん(?)、表情は読み取れないですが優しさが感じられました。



前方部先端側から北に降りる路は落ち葉だらけ。最初グーグル先生にこちらへ誘導されましたが途中で引き返して本当に良かった…

2024年9月下旬訪問