墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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円福寺茶臼山古墳(別所茶臼山古墳) 群馬県太田市別所町

今回からは、2021年12月上旬に訪ねた群馬の古墳シリーズです。

”キープ”している間に4年近くも経っていました。関東なので日帰りですが、結構回った記憶が微かに…。

まずは太田駅の西4㎞程にある円福寺茶臼山古墳から。

 

グーグルマップ先生に、墳丘(後円部)北側に導かれました。墳丘に鎮座する十二所神社の標柱が立っています。

 

墳丘の大きさを感じながら上がります。

 

墳丘上にあった説明板から実測図。右(北)から登りました。


登り切って振り返って。

 

その南側の十二所神社の社殿。

 

社殿の右(北)が墳頂になります。

 

墳頂から見る社殿。

 

本殿の神像は市の重文となっています。

太田市のサイトでその画像が見られます。

新田荘遺跡(十二所神社境内) - 太田市ホームページ(文化財課)

 

くびれ部あたりにある社殿を、南側から。

 

東を向く拝殿。

 

振り返った東側。

 

「円福寺・十二所神社とその周辺の文化財」の説明板に円福寺茶臼山古墳の解説もありました。

 

全長168mは大きいです!

円福寺茶臼山古墳
円福寺茶臼山古墳(別所茶臼山古墳または宝泉茶臼山古墳とも呼ばれる)は、宝泉(由良)台地の西端に築造された大型の前方後円墳で、市内では天神山古墳に次いで第2位、県内でも第3位の規模を誇っています。墳丘の全長約168m、後円部は直径96m、高さ14m、前方部は前端幅42m(現存部)、高さ9mで、墳丘は二段に盛り土をして築造され、川原石による葺石が認められます。中程の平坦面には円筒埴輪が巡らされています。周堀はほとんどが埋まっていますが、後円部北側にそのなごりが残っています。築造時期は5世紀前半頃と考えられます。墳丘上には、神像(五体が市指定重要文化財)のある十二所神社や石幢(せきどう:茶臼山古墳とともに旧県指定史跡、現在は新田荘遺跡に包含)などが存在し、前方部東側には伝新田氏累代の墓(同)があります。
(前・後略)

 

墳丘上にはさまざまな文化財が。こちらは、石幢(せきどう)

 

その解説板。

 

前方部の先端側は笹が密生。

 

そのあたりから振り返った後円部方向。

 

墳丘東側の参道を一旦降りて、北側に見る円福寺。

 

南側には伝・新田氏累代の墓が。

 

その少し先(南)から再度前方部に上がりました。

 

前方部先端方向へ。

 

前方部の先端あたり。

 

いったん境内を出て、墳丘を振り返って。

 

墳丘東側には円福寺駐車場もあります。

 

前方部右裾あたりから。右奥へ後円部。

2021年12月上旬訪問