白鳥古墳は神花山古墳の2.5㎞南東にある。途中の海沿いの道からの海岸が実に美しかった。
古墳の上に白鳥神社が鎮座する。この参道の右側に広い駐車場がある。
なので見学はしやすい。特にこの季節は。
鳥居の脇にあった説明板。前方後円墳の後円部に社殿、右下(南西)へ参道。
山口県指定史跡 白鳥古墳
指定年月日:昭和46年1月12日
所在地:平生町佐賀森の下上
この古墳は5世紀中ごろ平生町佐賀の海にのぞんだ丘の上につくられた前方後円墳で規模としては山口県最大のものです。
江戸時代後円部の石室から鏡・玉やその当時の鉄製品、巴形銅器などが彫り出されました。
出土品は山口県有形文化財に指定され、白鳥神社の御神宝として保管されています。墳丘には円筒埴輪や家形埴輪などの形象埴輪が並べられています。くわしくは平生町歴史民俗資料館でごらんください。
昭和63年1月30日 平生町教育委員会
山口県最大となる墳丘は全長120m、後円部径64m・高さ8m、前方部幅62m。
出土品写真もあるサイトには築造時期は古墳時代中期(5世紀)、瀬戸内海航路の東の重要な拠点に置かれた周芳国(7世紀末に周芳から周防に改称)の支配者の墓と考えられている、とあった。
こちらは柳井茶臼山古墳の前方部裾にあった白鳥古墳の解説。写真で後円部に社殿を載せた前方後円の形状がわかる。
石段を上がって後円部へ。
参拝して振り返る。
社殿の左に前方部への路があった。
このあたりがくびれ部、中央左奥へ前方部が続く。(ここで振り返っての後円部側を撮りそびれました)
建物の裏へ回り前方部を。先端に向かって上がる。
前方部先端からその先を。
右奥下方に前方部隅を確認。
前方部から後円部側を。
さきほどの赤い鳥居のところから東側に降りる道があった。
途中で振り返って。右が前方部端、左奥に後円部で、墳丘の左(東)側面になる。
この左に幅20.8m・深さ2.1mの周濠があったようだが見逃した。
上記の道を下まで降りて。右の道は前方部底辺(先端)に平行している。
駐車場に戻って後円部先端側(右)を。
白鳥古墳の位置。ここから南南東8kmにかつて番所が置かれていた上関(かみのせき)がある。長島との間が狭い海峡となっている。
46年前(1974年)の朝ドラの舞台。