光正寺(こうしょうじ)古墳から見えていた七夕池(たなばたいけ)古墳は、谷を隔てて200m北に。
谷へは下りずに歩けます。
こちらも古墳公園として整備されています。入口は北側。駐車場は無し。
がっしりとした説明板です。
国指定史跡 七夕池古墳
志面町大字田富字七夕谷
昭和50年6月26日指定
当古墳は墳径29m・高さ3mの三段に築成され、葺石が施されている。また、幅3.5mの空堀をめぐらせており、5世紀前半約1600年前のものと比定される円墳である。
主体部は長さ1.8m・幅0.8mの竪穴式石室で木棺の使用が確認されている。石室には40才位の女性が被葬されており、内行花文鏡、琴柱形石製品、玉類、櫛、鉄刀等の副葬品が発見された。
なお、南前方に見える光正寺古墳と一群をなすものである。
昭和52年3月31日 志面町教育委員会
光正寺古墳公園にあった説明板には、築造時期は4世紀後半とありました。
■七夕池古墳
七夕池古墳は、糟屋郡内最大の円墳です。発掘調査が行われており、埋葬施設は竪穴式石室に木棺を埋設であったことが確認されています。さらに、人骨も出土しており、分析の結果、40歳代の女性が埋葬されていたことが分かっています。古墳は盗掘を受けてなかったため、多くの副葬品が出土し、当時の埋葬状況を知る貴重な資料となっています。
古墳が造られたのは、光正寺古墳より約100年後の4世紀後半頃とされており、光正寺古墳とともに昭和50年(1975)に国史跡に指定されました。
光正寺古墳の周辺には多くの遺跡があります。なかでも光正寺古墳を知る上で重要な古墳として、光正寺古墳の北側にある七夕池古墳(志面町)と光正寺古墳の東側約400mのところにある神領・浦尻古墳群があります。神領・浦尻古墳群は、光正寺古墳に続く、宇美川流域の首長層の古墳群と推測されています。
(後略)
志面町のサイトにも詳しい解説が、写真とともにあります。
周溝跡に砂利が敷かれ、縁にはツツジが植わっています。
墳頂から南方向を。
光正寺古墳を眺めるのにベストポジション。ちょうどそちらに見学者もおられて、サイズ感がよくわかります。
左方向へ。
歩いてきた住宅街。
北側にはゴルフ練習場。その隣には福岡県立須恵高校。
西方向には大きな木があって、糟屋平野が広がる方向の遠望は得られず。
七夕池古墳の墳丘斜面と、光正寺古墳とを。
2024年2月下旬訪問