墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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善一田古墳群・その1 福岡県大野城市乙金東

今里不動古墳からは東に1.6㎞、大野城跡がある山塊の北西裾の善一田(ぜんいちだ)古墳群を訪ねました。

 

古墳公園としてきれいに整備されています。駐車場、トイレも有り。

 

居並ぶ開口部が圧巻です。

 

現地説明板

善一田古墳群 遺跡の概要
時代:古墳時代後期~終末期の群集墳です。6世紀後半~7世紀後半までの約100年間に造られました。
古墳に葬られた人:この地で活躍した鉄器づくりの職人や、アジアとの交流で活躍した人々であることが明らかになっています。最も大きなものは丘の一番上にある18号墳で、この地域一帯を治めたリーダーの古墳と考えられます。
古墳と古墳時代:古墳時代の大きなお墓のことを古墳と呼びます。善一田古墳群で古墳が造られ始めた6世紀の終わり頃は、蘇我氏や聖徳太子が活躍した時代です。7世紀後半には、周辺で水城・大野城が築造され大宰府政庁が整備されるなど、古墳時代は終わりを迎えていきます。
みどころ:7世紀前後の民衆の姿を良好に伝える古墳群です。本物の遺跡を、確かな手応えで、見て、触れて、感じ、語ることができます。
古墳の分布:全部で30基の古墳があり、このうち27基を調査し、9基を現地で保存整備しています。
大野城のおひざもと:周辺には100基以上の古墳や、集落の跡(薬師の森遺跡)も見つかっています。665年に築造された古代山城「大野城」にも近く、この地で暮らしていた人々が山城の築城に関わった可能性があります。
アジアとの交流を物語る出土品:古代朝鮮半島の新羅で作られた土器や西アジアで作られたガラス玉などが見つかっています。

 

灰色のところは無くなりましたが、ピンクのところがしっかりと保存されました。

 

大きくはない古墳公園ですが、見学ルートが2つ用意されていました。

今になって、王城山A号墳や雉子ヶ尾古墳の存在を知りました。再訪リストへ…

 

あずまやも石室仕様。

 

文化庁の”日本遺産”でもあるのですね。

日本遺産 善一田古墳群
6世紀後半から7世紀後半にかけて造られた古墳群で、馬具や装飾大刀のほか、「奈」の字をヘラ書きした須恵器や、朝鮮半島の新羅からもたらされた土器も出土しました。とくに新羅土器は、周辺の古墳群からもまとまって出土し、この地が早くから国際交流の舞台であったことを示しています。県史跡

 

中央の丘上が19号墳、その前の斜面に18号墳。

それでは時計回りに回ってみましょう。

 

まずは、19号墳の左にある木棺墓。

木棺墓(STO1)
19号墳の裾につくられた7世紀前半の木棺墓です。たくさんの土器が副葬品として納められ、木の棺を設置するための石が並べて置かれていました。築造時期から、18号墳被葬者の2世代ほど後の世代の人が葬られたと考えられます。 
木棺墓の位置を舗装で表現しています。
 
国内最古級のヘラ書き須恵器 
表面に「奈」と記した土器を副葬していました。国内で漢字が普及する以前のもので、当時最先端であった漢字文化の受容を物語ります。「奈」は、福岡平野のことを示す地名「ナ」を意味する可能性の他、人名や氏族名の一部を表現した可能性があります。

 

周囲の柵がしっかりしるのが印象的でした。

 

柵の前から。大きな楣石です。

 

奥壁をズームで。

 

19号墳の標柱。

19号墳 ~大きな天井石がある古墳~
かたち・大きさ:円形・11m
つくられた時代:7世紀はじめごろ
埋葬する場所:横穴式石室
見つかったもの:小刀
石室・墳丘の一部を失っていましたが復元整備しました。

 

19号墳には、築造時の様子に関する興味深い解説も。

高度な土木技術
古墳は人工的な盛土(墳丘)と、内部の部屋(石室)からなります。地面を平坦に造成し、石を据えるための穴を掘った後、石室石材の設置と墳丘盛土を交互に行いながら高く積み上げていきます。最後に天井石をのせて盛土で覆い完成です。天井石は推定5トン以上の重さがあります。石室をのぞいてみると当時の高度な土木技術を観察することができます。
古墳でのお祭り
古墳の周りからたくさんの土器が見つかることがあり、古墳や埋葬された人に対するお祭り(葬送儀礼や墓前祭祀)があったことが推測できます。多くの食器や貯蔵具・調理具も含むことから、飲食を伴うお祭りであったようです。また、墳丘の中に甕を埋めることが多く、これは古墳を造るときの儀式と考えられます。
石室の構造
横穴式石室です。遺体を安置する部屋
(玄室)と、玄室に通じる通路(羨道)があり、石を積み上げて入口を塞ぎました(閉塞石)。何度でも開閉可能な石室で、複数の遺体を安置できる構造です。

 

19号墳を斜面脇から。

 

斜面上側から。

2024年2月下旬訪問