墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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田中36号墳(田中古墳群) 滋賀県高島市安曇川町田中

胞衣塚を見た後は安曇川駅へ戻るつもりでしたが、大津京方面への電車まで40分ほどあったので、駅の北西方向にある田中王塚古墳へも行ってみることにしました。

 

古墳群のある丘裾までは水田の間をサイクリング。

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坂道になってからは押して歩くことに。

カーブの内側に、かろうじて残った墳丘がありました。

 

道路脇に、田中36号墳という説明板。

田中三十六号墳(高島市安曇川町田中))
田中古墳群は、泰山寺野台地の東端に位置し、これまでの調査で43基以上の古墳が確認されています。 
古墳群の中心には、継体天皇の父である「彦主人王:ひこうしおう」が被葬者とされる田中王塚古墳があります。
36号墳(6世紀後半)は、古墳群でも最も平野部側に位置する古墳で、近年の発掘調査では、九州地域の影響を受けた横穴式石室が発見され、武器・馬具・須恵器・ガラス玉、耳環などの副葬品が出土しました。特に金銅で装飾された馬具が多く出土したことから、埋葬された人物はかなりの有力者であったとされ、継体天皇の擁立に尽力した三尾氏との関連が考えられます。

 

坂上側には立派な説明板もありました。

田中古墳群 田中古墳群(滋賀県高島市安曇川町田中)
泰山寺野台地の東端に位置する古墳群です。これまでの調査で、40数基以上の古墳が確認されています。古墳群の中央北側には、直径58m・高さ約10mの田中王塚古墳(帆立貝形古墳または円墳)があります。田中王塚古墳は、この地域の出生とされる第26代継体天皇の父「彦主人王」の陵墓参考地です。墳丘形態や埴輪片から5世紀後半の築造とされています。他の古墳は、直径約10~20m、高さ約1m~4mの円墳や方墳です。築造時期は5~6世紀代とされることから、田中王塚古墳を盟主墳とした古墳群です。

田中36号墳 
平成19年に道路拡張工事に伴い発掘調査を実施しました。現在、調査区は埋め戻され、埋葬施設などは現地に保存されています。 

墳丘 :標高124mの台地上に位置します。眼下に安曇川によって形成された沖積平野が広がり、墳頂からは、遠くに琵琶湖を望めます。墳形は円墳で、直径24m・高さ4mを測ります。
 
埋葬施設:花崗岩の石材で構築された横穴式石室で、石室の全長は7.9mを測ります。玄室の奥側には、玄室より幅広い遺骸安置空間(遺体を置く場所)を設け、仕切り石と小礫を用いて区画しています。壁面には赤色顔料 (ベンガラ)が塗布されていました。横穴式石室は、玄室を仕切り石で区切るなどの構造や形態から、九州地方に類例が認められる「石屋形」との関連が指摘され、九州系の石室要素が加えられた可能性が考えられます。

出土遺物:石室内から副葬品の馬具や土器類が出土しました。馬具は、玄室の右幅の隅にまとめられた状態で出土しました。轡には、装飾的な鉄地金銅装鐘形鏡板轡と実用的な鉄製環状鏡板轡の2種類がありました。鐘形鏡板轡の形状は、これまでに全国で出土した馬具の中では、類例が少ないものです。この他、須恵器・鉄鏃、鉄製刀子、滑石製紡錘車・鉄地金張耳環・ガラス玉・土玉など多くの副葬品が出土しました。

年代:出土した須恵器は、6世紀後葉~7世紀初頭の年代が与えられます。このことから、6世紀後葉に築造、初葬が行われ、6世紀末葉~7世紀初頭にかけて追葬されたものと考えられ、当地域の有力豪族の墓と推測されます。一方、当地域には、畿内の有力豪族が採用する家形石棺と多数の舶載品が副葬された鴨稲荷山古((前方後円墳:全長約60m: 6世紀前半)が所在します。このことから、当地域が6世紀を通じて畿内はじめ九州・日本海の地域と活発な交流があったものと考えられます。

 

石室も立派だったのですね。

 

墳丘への階段。

 

墳頂の様子。向こうは道路の擁壁です。

 

木が茂っていて、琵琶湖側の眺めは得られませんでした。

2024年6月上旬訪問