今回からは滋賀県(琵琶湖西岸)の古墳旅になります。
大津市の百穴古墳を訪ねるツアーに午後から参加しましたが、午前は少し足を延ばして高島市の鴨稲荷山(かもいなりやま)古墳へ行ってきました。
湖西線の車窓から。琵琶湖大橋から北は湖面が広大ですね。
古墳巡りを始めた頃に、湖上から古墳を遠望するツアーに参加しましたが、もう10年も前になってしまいました…
安曇川(あどがわ)駅で降りて徒歩だと20分の距離ですが、駅構内の観光案内所にレンタサイクル(一日500円)があったので利用しました。ママチャリですが3段変速で楽ちん!
鴨川を渡ったところに標識が。
道路脇の畑の向こうに展示施設。
墳丘はほとんど残っていませんが、明治期の道路工事で、未盗掘の副葬品が納められた家形石棺が”発見”されています。
滋賀県指定史跡 鴨稲荷山古墳
鴨稲荷山古墳は、安曇川と鴨川が形成した沖積平野に位置する古墳です。明治35年(1902)に古墳の東側を通る県道小浜・朽木・高島線の改修工事により発見されました。本格的な発掘調査は、大正12年(1923)に京都大学により行われました。『近江国高島郡水尾村の古墳』と題する研究報告書が刊行されるなど、6世紀代の未盗掘古墳の実像が明らかになった、全国的にも数少ない著名な古墳のひとつです。
墳丘は、全長約45mの前方後円墳と考えられ、周囲の水田下に埋もれている周濠を含めると、その規模は全長約60mを測ります。墳丘には、葺石や円筒埴輪・朝顔形埴輪などの外表施設が樹立していたと考えられています。
古墳の後円部には、長さ約9m、幅約1.8m、高さ約1.8mの横穴式石室が構築され、その石室内部には、奈良県と大阪府にまたがる二上山産の白色凝灰岩を刳りぬいた家形石棺が納められていました。石棺内からは金銅製の装身具を始めとする、大量の副葬品が出土し朝鮮半島をはじめとする地域との関係をうかがわせる遺物として注目されています。
現在、横穴式石室は解体されていますが、家形石棺は安置された1500年程前の位置を保ちながら保存公開されています。
令和3年3月5日 高島市教育委員会
現在の道路に並行するように前方後円墳が築かれていたようです。
石棺は原位置に、ガラス窓のある建物内に展示されています。
ガラスの反射で撮るのに一苦労。
蓋の頂部の幅が狭いのは、家形石棺の中でも古いタイプを示すそうです(「古墳図鑑」解説より)
身の部分も内側を刳り抜いてあるわけですが、これを彫り抜くのは大変な労力だと感じます。
展示施設前の解説。
滋賀県指定史跡 鴨稲荷山古墳
後円部中央の家形石棺は、長さ約2.5m、幅約1.2m、高さ約1.5mを測り、その重量は約2トンにおよびます。大阪と奈良にまたがる二上山から切り出された石棺は、船を利用しながら大和川、河内湖を経て淀川に入り、巨椋池、宇治川・瀬田川を経由しながら、琵琶湖西岸を北上するルートで高島に運ばれ、その距離は100㎞以上におよびます。
家形石棺は、赤顔料色である朱が内外面に塗られ、赤く塗られた石棺内部からは、金製垂飾付耳飾や金銅装の宝冠、みずら飾、飾履、魚佩、玉類などの装飾品のほか、銅鏡などの祭器、金銅装環頭 大刀、鹿角装大刀、刀子などの武器類が納められていました。
石棺外からも鉄製の馬具類や須恵器が発見されるなど、6世紀代の未盗掘の古墳であったことから、多くの副葬品が発掘されました。現在、これらの副葬品は、東京国立博物館や京都大学などに収蔵され、これまでの研究により朝鮮半島の伽耶を中心とした周辺地域の百済や新羅の王陵からの出土品と類似性が指摘されています。
このことから、稲荷山古墳の被葬者は、在地有力者の枠を超えたヤマト王権に近い人物像が想定されています。日本書紀には、継体大王の出生が「近江国高島郡三尾別業」と記載されることから、6世紀に擁立された継体大王に深く関わった三尾氏関連の古墳と考えられています。 令和5年3月 高島市教育委員会
施設内にも副葬品の写真パネルがありました。室内に入れる機会は無さそうですが。
蓋のこちら側は、”庇”の出が少し大きいですね。
道路のすぐ東側は湖西線で、時折電車の通過音が響きます。
西の山側の景色。
ここから200m程南の高嶋歴史民俗資料館に、副葬品を埋葬時の状態に復元したレプリカが展示されていたのですが、残念ながら閉館になったと、駅の観光案内所の方に聞きました。
そのレプリカは、駅の東方向にある中江藤樹記念館で見られるとのことでしたが、その記念館も4月1日から来年(2025年)の3月末までリニューアル工事休館中とのこと…
開物発事さんのブログの写真で、復元品を拝見しました。
【鴨稲荷山古墳】復元された古代首長のキラキラ豪華装飾品(冠・沓・耳飾り)【高島歴史民俗資料館(1)】 - ものづくりとことだまの国
鴨稲荷山古墳は鴨川右岸の立地ですが、そこにかかるのは「天皇橋」
その天皇橋から西の眺め。
近くでは田植えを終えたばかりのようでした。
2024年6月上旬訪問