墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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桜の大塚界隈・その2~”大塚”ゆかりの地 東京都文京区大塚

大塚の桜並木を訪ねる前に、前から気になっていた「大塚ゆかりの地」へ行ってみました。

JR大塚駅からは少し遠いですが(南東に1.8㎞)、丸の内線の茗荷谷駅からは徒歩4分。

 

貞静学園中学校・高等学校の敷地南の道路に説明板。

"大塚”ゆかりの地 大塚1丁目2と6
ここ貞静学園の場所には、かつて”塚”があった。
「改撰江戸志」には、この塚について地元の説に「大塚通の南裏、小普請神尾豊後守組森川鉾太郎屋敷内に塚あり、高さ五尺(約1.5m)ばかり、上に大樹の榎の朽木五尺ばかり残れり、是大塚なりと云、塚の脇に稲荷あり、大塚稲荷といふ」と記されている。
塚は昭和の初めに崩され、稲荷も昭和20年の戦災で焼失した。この大塚は古くから古墳であったとか、中世の塚や物見やぐらの跡だったとも言われてきた。
貞静学園の改築に伴い、平成12年の発掘調査で区内で初めて5~6世紀代の竪穴住居跡が確認された。文京区の古墳時代を知るうえで、貴重な歴史資料といえる。
今は失われた塚も”大塚”という町名として残っている。
文京区教育委員会 平成15年3月

 

山手線の駅名である「大塚」が古墳に由来すると知っている方は、それほど多くはないと思われます。

 

説明板の向かい側は拓殖大学文京キャンパス。このA館は昭和7年(1932)の竣工で、設計は加護谷祐太郎 - Wikipedia

 

こちらが正面側。

 

その道を西へ進み、右へ曲がったところにも、拓殖大学の建物がありました。

 

拓殖大学国際教育会館は昭和8年(1933)の築で、設計は内田祥三。

元々は東方文化学院東京研究所(現:東京大学東洋文化研究所)として建てられ、戦後には外務省研修所も入居、1967年に東京大学東洋文化研究所が東京大学本郷キャンパスに移転した後に、敷地の近い拓殖大学に払い下げられたそうです。

拓殖大学国際教育会館 - Wikipedia


塀の外からも見えた桜。

 

道路の反対側には跡見学園の2号館。2008年竣工で日本設計が手掛けています。

このあたりは大学関係の建物の密集地帯でした。

 

その中にある、文京区立新大塚公園。


家族連れで賑わっていました。

2024年4月7日訪問