綾塚古墳の次の訪問地は、南西に600mほどの勝山神社古墳を選びました。
このあたり、古墳「群」だらけで舞い上がりました。
道路沿いに勝山神社の解説板がありました。
勝山神社
「勝山権現社縁起」によれば、この神社は正保2年(1645)の大干ばつの際に飯岳権現から勧請したとされます。飯岳権現は、ここから見て南西方向にそびえる大坂山(別名・飯岳)山頂にあって、藤原広嗣の霊をまつる社です。
正保2年の大干ばつの際、ほかの神社に祈っても雨が降らなかったのに、飯岳権現に祈ったところ3日のうちに雨が降り、作物がとれたといいます。そんな霊験あらたかな飯岳権現をこの場所に勧請しようと、仮宮の建設をはじめたところ剣や鉾が出土したと伝えられています。またその翌年、拝殿をつくるために地ならしをしたところ、一間(約1.8m)四方の石の棺が出土し、その周囲には四尺(約1.2m)四方の石の墓が多数あったといいます。当時の人々は、一間四方の大きな墓は広嗣の墓で、小さな墓は家臣の墓ではないかと考えたようですが、じつはこの山中には多くの古墳があるので、おそらく人々がみつけたのは古墳だったのでしょう。
享保9年(1724)の大干ばつの時も人々の祈祷で雨を降らせたと伝えられ、現在でも地元の皆さんによって大事に管理されています。
みやこ町教育員会
振り返った田んぼ。長峡川が形成した平地です。
勝山神社の鳥居。柱に大きな文字が刻まれています。
その背後に、勝山神社古墳のピンが立っています。
標柱に、勝山神社古墳と書いてあるようでした。
草のヘルメットがあるようですが、繁茂が激しく様子が判らず。
標柱の裏には、参道を整備された方々の年齢が。
勝山神社古墳を背面側から。
78歳と72歳の方々が整備された参道を登ります。
しっかりした石段、整備は大変だったことでしょう。
樹林が原生林ぽくなったところに社殿が。
神々しい雰囲気がありました。
来た道を振り返って。
この左の樹林の中に数基の石室が露出しているようですが、余裕が無くて次の機会としました。
ズームで、標高差を認識。
古墳マップさんによれば、自分が見た鳥居の左後ろは4号墳で、鳥居の右手のイノシシ除けフェンスの扉から入ると右側に3号墳、2号墳、1号墳の順に残っていて、3・2号墳は入室可能な大型の石室だそうです。
2023年9月上旬訪問