前回のつづき。
国史跡の銚子塚古墳・丸山塚古墳を堪能した後は、園内を博物館の方へ進んだ。
こちらは丸山塚古墳の周溝沿いにある円墳(?)
丸山塚古墳の陪塚にみえるが、ちょっと検索しただけでは古墳なのかどうかもわからなかった。
そのすぐそばにあった案内図。
できれば、小さな古墳や古墳跡も示していただけるとありがたいです。
円墳(?)と道を隔てて岩清水遺跡。
解説板を撮りそびれてしまったが、ネット上で見かけた写真によれば古墳時代中期(1600年前)の円形周溝墓2基。
古墳時代の墳丘墓であれば”円墳”のはずだが、岩清水遺跡が弥生期遺跡が主体(住居跡13軒・円形周溝墓1基)であるから”円形周溝墓”の呼び名になっているのだろうか。
http://y-rinj.net/2011/494big13.htm
こちらが西側の円形周溝墓2号墳(直径約30m)
周溝には渡り堤も復元?
そこから西側には丸山塚古墳、その間に前出の円墳(?)がある。
振り返って東側には、岩清水遺跡の円形周溝墓1号墳(直径約26m)
2号墳にも渡り堤的な復元が。
周溝から出土した土師器や須恵器から、この”円形周溝墓群”の築造年代が5世紀中頃から後半と考えられるそうだ。
1号墳から見た2号墳。
1号墳の北側には小径を隔ててさらに2基。
左が「かんかん塚(茶塚)」で、右の木の後ろに「さかづき塚」
前出の岩清水遺跡の解説板には、かんかん塚(茶塚)古墳の築造は円形周溝墓群と同時期であり、後者の主はかんかん塚(茶塚)の被葬者に近い人物だったかも知れないとあった。
かんかん塚の墳丘は草が生い茂る。
反対側に回り込むと踏み跡があったが途中から草に埋もれていた。
北側にあった説明板。
かんかん塚(茶塚)古墳とさかづき塚
かんかん塚(茶塚)古墳
この古墳は、直径26mほどの円墳です。石室は、長さ約7mの東西方向の竪穴式石室で、人の頭ほどの石を積み上げ、15個の細長い石で天井を覆う構造になっていました。この古墳の年代は5世紀後半で、石室内からは甲冑や県内最古の馬具が発見されています。
近くの銚子塚古墳や丸山塚古墳に比べ、規模が小さくなるのは甲府盆地内の各地に古墳文化が広まり、この地域の勢力が相対的に弱まっていったことを物語ると考えられています。さかづき塚
この塚は、直径約13mの大きさで、盛り土の内部に、こぶし大の石を1m四方に敷き詰めた施設があり、16世紀頃の鉄鏃などが出土したことから、中世の信仰にかかわる塚とみられます。
こちらがさかづき塚。中世の塚とのことだが位置的に、もとは古墳であったように感じられた。
右が”かんかん塚(茶塚)古墳”、左が”さかづき塚”。