墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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塚原古墳群(その1:方形周溝墓エリア) 熊本県熊本市南区城南町塚原

塚原歴史民俗資料館を見たあとは、広大な”塚原”へ。

 

資料館のそばにあった説明板。

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タイルに焼かれた立派なものです。その左端から。

塚原古墳群
塚原古墳群は、下益城郡城南町大字塚原にある県内最大の古墳群です。
江戸時代の地誌「肥後国誌」や「肥後見聞雑記」には「塚原村に九十九塚有り‥」と書かれており、その存在は古くから知られていたようです。
特に昭和47年から始まった、九州縦貫自動車道建設に伴う事前の発掘調査で、全国的に知られるようになりました。
九十九塚の伝承は残っていましたが、この調査が行われるまでは、前方後円墳である琵琶塚古墳、花見塚古墳を中心とした10基程度の小さな古墳群と思われていました。
しかし、調査が進むにつれ、地下に埋もれた102基(最終的には500基を越えると言われる)もの古墳が次々と見つかり、伝承を上回る大古墳群であることがわかりました。
この古墳群は数だけではなく種類や時代を異にする大小の古墳が一つの台地上で見られる特徴を持っています。

塚原古墳群の始まり
塚原古墳群が最初に築かれたのは、方形周溝墓と呼ばれる古墳でした。
方形周溝墓は、身分の差が見え始めた弥生時代に造られ始めた墓で、低い盛土をもり棺を囲む周溝を持つところに、それまでの墓とは大きな違いがありました。

 

「高塚古墳の出現」

塚原台地に方形周溝墓が築かれ始めてからしばらくたったころ、これと隣接して高い盛土をもった古墳(高塚古墳)が現われました。
台地北側一帯に見られる三段塚古墳を初めとする大型の円墳がこれにあたります。

 

「前方後円墳の広がり」

大和盆地から宇土半島に入ってきた前方後円墳は5世紀の終わり頃になると塚原台地にも築かれるようになりました。
まず琵琶塚古墳が、やがて花見塚古墳も築かれ、台地南側一帯にこれらを頂点とする古墳群が出来上がりました。

 

「塚原古墳群と磐井の乱」

石之室古墳や北原1号墳から発掘された横口式家形石棺や石製装飾(きぬ笠、盾)は、そのほとんどが九州の西海岸に集中して見られるもので、特に九州最大の豪族だった筑紫君磐井とのつながりが強く感じられる遺物でもあります。
おそらく磐井を中心に九州の豪族たちが、大和朝廷に対し反乱を起こしたとき、塚原古墳群を築いた人達もなんらかの係わりをもったのでしょう。

 

「塚原古墳群の保存と活用」

先人が残してくれた文化遺産を未来の人々に伝承することは、私達に課せられた義務であり、それを活用することは、その存在を認識するために重要なことではないでしょうか。
その意味からすれば、塚原古墳群の史跡公園化は大きな意義があると言えるでしょう。
塚原古墳群は昭和51年国指定の史跡となり保存され、昭和61年から史跡公園化の工事が始まりました。
14万㎡におよぶ公園内には復元された古墳や古墳内部の観察室・古墳の復元模型・出土土器のレプリカ・竪穴住居を各所に配置し、歩きながら塚原古墳群の様子がわかるような野外博物館としての活用が計られています。

 

右端には現在の航空写真も。ど真ん中の下を高速が抜けています。

 

古墳群の様子がよくわかる、屋外ジオラマ。

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坂を上がった台地上にも説明板。

国指定史跡 塚原古墳群
塚原古墳群は、熊本県内最大規模、全国でも有数の古墳群です。その存在は古くから知られており、江戸時代後期に著された「肥後国誌」や「古今肥後見聞雑記」にはすでに登場しています。群内には、4~6世紀に築かれた方形周溝墓、円墳、前方後円墳、周溝墓などの古墳が見られ、その移り変わりを一つのっ丘陵上で確認することができる特徴を持っています。
この遺跡は、九州縦貫自動車道建設によって消滅する運命にありましたが、学術上の価値が極めて高いことから、道路を遺跡の下をトンネルで通すことにより保存することが実現できました。このような保存は全国的にもきわめて珍しいことです。
現在約10万㎡の史跡公園の中に、発掘された古墳の内77基が復元されています。公園は、春はサクラやツツジ、夏はアジサイ、秋はコスモスなど季節の花が咲き、地域住民の憩いの場として、歴史学習の場として利用されることを願っています。
指定年月日:昭和51年(1976)12月27日
整備機関:昭和60年(1985)~平成7年(1995)
指定面積:134,724.12㎡

 

まずはエリア北側の方形周溝墓から。

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きれいな形で復元されています。

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細~い堤も。

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説明板も。

方形周溝墓
塚原古墳群では前半期にあたる4世紀後半から5世紀中頃にかけて、方形周溝墓と呼ばれる墓が築かれました。
方形の溝で囲まれた墓域に、1~4基の木棺や石棺を納めたこれらの墓には、溝の中に埋まった土の量から、1m前後の低い盛土(台状部)があったことが推定されます。
遺物は、その多くが周溝内からみつかっています。壺・甕・高坏を主とする土師器が最も多く、陶質土器、鉄製のやじりや手鎌、小玉や管玉などの他、馬の歯も出土しました。

 

堤の上を楽しく走っている子供たちがいました。

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一番北東の角の墳丘から。右下が高速です。

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そこから南方向。

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まずは目の前の三段塚古墳へ(次回で)