祇園原古墳群シリーズの最後は、前回までの”Aグループ”から少し東に離れた一団・”Bグループ”を。
マップのピンを目指して行くと、道路脇に駐車スペースのある場所があった。
古墳群の真ん中を少し切通したように道路が通っている。古墳群を避ける新道があとから整備されたのだろう。
右の円墳は道路から2m近く高い面に築かれている。
その場にあった説明板。
左端の解説は、百足塚古墳のそばにあったものと同一。
祇園原古墳群の案内
新田原古墳群は新富町大字新田(にゅうた)から西都市右松にある国指定史跡です。その分布は一ツ瀬川左岸台地上で、4つの地区に集中しているため、それぞれ塚原(つかばる)古墳群、石船(いわふね)古墳群、山之坊古墳群、祇園原古墳群と呼んでいます。
祇園原古墳群には前方後円墳14基、方墳1基、円墳139基の合計154基の古墳があり、古墳の多くは6世紀(古墳時代後期)に造られています。
発掘調査はあまり行われていませんが、平成9年度から始まった百足塚古墳の調査では周溝(古墳まわりの堀)に転落していた埴輪類が多数発見され、宮崎県でもめずらしい人物、鳥形、家形、柵形などの埴輪が復元されています。
平成4年度にはBグループで円墳の周溝から地下式横穴墓や馬の埋葬穴が発見されています。
52号墳から発見された大刀の単龍環状柄頭は当時の中央政権から配布された威信具(権力を表したもの)でしょう。
祇園原古墳群の前方後円墳の多くは6世紀のおいて日向地方最大であり、当時の首長達の墓であろうと考えられています。
平成15年3月31日 新富町教育委員会
Bグループでは29基の円墳の周溝が発見され、その周溝の内外から地下式横穴や馬の埋葬穴が発見されています、とも書かれていた。
古墳のある面へ上がって。
円墳が密集する。
道路の反対側の面の上にも数基。 新道側に切り通された箇所もあった。
新道の先にはAグループの古墳群。左の台地上に59号墳が見えている。
ズームで。
そこから、マップに記された霧島塚古墳へ向かった。畔道に入ってさきほどの切通しを振り返ったところ。
畦道のカーブは後円部先端の形に沿っているように見える。右の木々は墳丘に立つようだが…
周溝があるようだが藪が深く、取り付く場所が見つからなかったので撤退。
グーグルマップで見ると、この先200mで一ツ瀬川。標高差60mなのでかなりの崖だろう。113号墳・霧島塚は崖側(西側)に前方部を向けるが、その先2km半ほどに西都原1号墳が立地している。
現地では分からなかった一ツ瀬川対岸からの景色は、ストリートビューで確認できる。中央の、手前側に迫り出している台地先端の木々の中で、霧島塚の前方部がこちらを向いているはず。
背面の風景も見渡せます。
霧島塚から南に250mに春日神社への入口があった。満開のモクレンに迎えられ。
鳥居の後ろの石段は、7段・5段・3段と、七五三仕様。
御祭神は天児屋根命。拝殿ではお祓いの最中だったので、ここで一礼して戻った。
秋の例祭では新田神楽の神事が継承されているようだ。
神社近くの道路沿いで見られた立派な円墳。
別の角度から。
同じ場所から別方向(南側)を。
ここにも、緑の海に浮かぶ群島のような景色があった。