前回のつづき。
いよいよこの日の目的地、山梨県立考古博物館(の企画展)へ。
県立の博物館なので、大きくて立派な建物。
バス停を降りたときは止んでいた雨が、銚子塚に上がった時に降り出していた。
入ってすぐのホール。中央が常設展入口になる。一般220円。
縄文土器の顔嵌めパネル。実際の土器も、この位置に人面が配されている。
常設展では縄文土器の優品(東博の縄文展に出たものも)なども展示されていて写真も撮れるが、SNS等への掲載は不可。
https://www.pref.yamanashi.jp/kouko-hak/standing/jousetu_joumon.html
目当ての「山梨にでっかい古墳ができたわけ。上の平遺跡発掘40周年」展は入場無料だったが撮影不可となっていた。
甲府盆地の南端丘陵上には甲斐銚子塚古墳(全長169m:4世紀後半)や、その6㎞東に立地する岡銚子塚古墳(全長92m:4世紀中頃)など、古墳時代前期では東日本最大級の”でっかい古墳”が築造され今でも残っている。
それらが「できたわけ」を「人々の動きと交流」という観点で、豊富な出土物から解き明かす、とても興味深い展覧会だった。
パネル解説によれば甲府盆地は、東海系(東海~関東にかけての太平洋側の文化)と、中部高地系(日本海を介した交流を背景に各地に影響を及ぼした長野県を中心とした文化)の接触域であったことが、それぞれの地域の流れを汲む土器の出土からわかるそうだ。
「甲斐」は人々が行き交う「交い」が語源とされているそうで、内陸部と太平洋側を結ぶ役割は、弥生後期の活発化した交流に原風景があったといえるかもしれない、との説明も。
企画展タイトルにもある「上の平遺跡」は、博物館裏手の丘の上にある弥生時代後期の遺跡で、古墳時代の直前に東日本随一の密集度で125基の方形周溝墓が築かれている。
東日本における古墳の出現は、これまで東海西部系(伊勢湾岸地域)との関係性が特に重要視されてきたが、上の平遺跡の土器には東海東部系(天竜川以東)の影響が強く見られ、東海西部系の痕跡は薄いとのこと。
東海東部にあたる沼津市の高尾山古墳が近年の調査で古墳時代最初期(230年頃)の築造と評価されたことで、甲府盆地と東海東部との結びつきが考えられるようになっている。
そのような交流がベースとなって”大きな古墳”ができる素地がつくられ、古墳時代には倭王権を中心とするネットワークに取り込まれるに至り、甲府盆地は東日本における要地として繁栄を極めていったと推測されるとのこと。
展示物は土器が大半でしたが、 中部高地系、東海西部系、東海東部系、畿内系などの地域ごとの特色が丁寧に解説されていて、なかなかエキサイティングでした。
ちなみに、この10月2日~11月24日には特別展「縄文文化の頂点」が開催されるそう。
https://www.pref.yamanashi.jp/kouko-hak/special/2019/special.html
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