今回の古墳名も難読です。
みやこ町歴史民俗博物館のパネルで知った古墳でした。
呰見大塚(あざみおおつか)古墳
この古墳は祓川(はらいがわ)右岸に広がる丘陵(標高約38m)上にあり、祓川下流域を支配した中小豪族の墳墓とみられます。
通常を上回る規模の墳丘や二重の周溝をもち、副葬品も装飾須恵器や金銅装太刀など豊かな副葬品をもつ古墳ですが、最大の特徴は装飾壁画です。京築地域では唯一、壁面に赤や黒の顔料で、丸や三角の幾何学文様が描かれているのが発見され、筑後川流域や肥後の古墳文化の影響がうかがえます。
形状・内部構造:円墳/複室構造
規模・墳頂:直径13m×高さ不詳
石室全長:7.0m
玄室規模:長さ2.7m・幅2.1m・高さ不詳
築造時期:6世紀後半
資料館では地元小学生が作ったパンフが置かれていました。素晴らしい!
そのパンフのマップに呰見大塚古墳も載っていたので、これは行かないと、と。
(下図の右端)
いただいた文化財マップにも記されていました(17番)
ただちょっと解像度が…
グーグルマップには記載が無く、高速沿いの細道をうろうろ迷って、あきらめかけたときに邂逅しました。
反対側に回ると説明板も。
京都平野唯一 彩色の装飾古墳
呰見大塚(あざみおおつか)古墳
呰見大塚古墳は、6世紀後半頃につくられた直径約25m(外側の周溝を含めると約30m)の円墳です。
平成21年(2009)に東九州自動車道の建設工事にともなって行われた発掘調査により、石室内部に彩色壁画が発見され、この古墳が京都平野では唯一、彩色の「装飾古墳」であることが判明しました。また、壁画の内容に、装飾古墳が盛んにつくられた筑後川流域(福岡県南部)や肥後(熊本県)の影響も見られることから、ここに葬られた人が、それらの地域を何らかの関係があったことが推測されています。
東九州自動車道建設のため、この古墳は発掘調査終了後に取り壊される予定でしたが、大変貴重な古墳であるために保存措置が講じられました。みやこ町教育委員会
入口には南京錠。
壊されずによくぞ残していただけました。
金網エリア内の説明板をズームで。
呰見大塚古墳の彩色壁画
呰見大塚古墳の石室には、赤い顔料で様々な文様が描かれています。黒い顔料が使われた可能性も指摘されていますが、現在判別できる彩色は、ベンガラ(鉄分の多い土を焼いてつくった顔料)を用いた赤色です。描かれた文様は、三角文と三角形を組み合わせた対角線文(×印)、それに同心円文です。三角文は、蛇や龍の鱗を表して魔を祓う意味があるといわれ(対角線文も同じ)、同心円文は、鏡や太陽を表して、霊力を象徴する文様だったといわれます。
古墳の内部に装飾をほどこすのは、死者の魂を、石室という閉じられた暗黒の空間から、死後の世界である「黄泉の国」へ誘う意味があったと考えられます。
みやこ町教育委員会
平成22年4月の現地説明会の資料がネット上に残っていて、壁画の様子がよくわかります。ありがたいです。
https://kyureki.jp/wp-content/uploads/2021/03/excavation_survey_h22_azami.pdf
現在は埋め戻されています。
石列の間が墓道・石室なのでしょう。
背後は県道243号。上は東九州自動車道。
250mほど先(北西)で、祓川(はらいがわ)を渡ります。
グーグルマップに位置を入れました。
航空自衛隊の築城(ついき)基地が近く、戦闘機が訓練中でした。
2023年9月上旬訪問