墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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石宝殿古墳 大阪府寝屋川市打上元町

太秦高塚古墳見学後は、ぜひ見たかった石宝殿(いしのほうでん)古墳へ。

細道をおそるおそる上がっていくと、打上(うちあげ)神社展望台の手前になんとか停められるスペースがありました。

 

古墳は神社の右から山道を少し入ります。

 

その手前にあった説明板。

国史跡 石宝殿古墳
指定 昭和48年5月10日
ここより東方約50mのところにある後期古墳です。
花崗岩の底石は長さ約3m・幅1.5mあり、蓋石を受けるための加工がほどこされてあります。
蓋石は長さ約3m、幅3.3m、高さ1.5mもの巨大な花崗岩をくりぬいて墓室としてもので、入口に扉をもったあとが見られ、その前に2個の大石で羨道を作っています。
古墳としてはきわめて稀な形をもち貴重なものです。被葬者は不明、おそらくこのあたりに勢威をもった豪族のものでしょう。
文化庁 大阪府教育委員会 寝屋川市教育委員会

 

ほどなく到着。

 

露出した横口式石槨。開口部前の左右に巨石も(羨道の側壁)

 

来た方向を振り返って。


開口部を背にして。繁みが濃くて眺めはありません。

 

飛鳥で見られる「鬼の雪隠」が「俎」の上に載る完成形ですね。

 

硬い花崗岩を精緻に加工しています。

 

左上の丸く刳り抜かれた部分には、軸をはめ込む扉状の施設があったと推定されるそうです(寝屋川市のサイトより)

 

その寝屋川市のサイトによれば、横口式石槨の内部は幅0.9m・高さ0.8m・奥行2.2mで入口部分の幅は0.5m。江戸時代には現状のように開口していたことが記されていて、石槨内に納められていた棺の形状や副葬品などは不明。発掘調査時に石槨の周辺から須恵器の小片が出土していて、土器や石槨の構造などから7世紀中ごろ(古墳時代終末期)の築造と考えられるそうです。

石宝殿古墳(いしのほうでんこふん)/寝屋川市

 

内部を覗き込んで。

 

高さ80㎝。足側から四つん這いなら入れないことはないですが、写真は無理そうなので外からのみで。

 

額田大玉さんのサイトでは中からの写真が。どうやって撮ったのでしょう…

石宝殿古墳

 

石槨を背面から。

 

側面から。右が開口部。

石室背後に石列が写っていますが先ほどの寝屋川市のサイトによれば、昭和63年(1988)の発掘調査で、この列石(3石)の西側に135度の角度で続く石が埋っていることが確認され、これらの石を古墳の外側のラインにすると、古墳の平面形が八角形になる可能性があるとのこと。

 

見学後は高良神社(打上神社)へ参拝。


拝殿から振り返って。

 

道を挟んだ「打上神社展望台」からの眺め。

 

その展望台には花崗岩を組んだ気になる祠が。

 

少し下がったところからは大阪のビル群も見えました。

 

北西方向の山々も。最初のほうで訪ねた阿武山古墳までは直線距離で15㎞ほど。

2023年9月中旬訪問