北塚古墳は、妙見堂古墳から2.5㎞北東の細長い谷戸沿いにありました。
右の茶色壁の手前が入口。周囲に駐車スペースはありません。
こちらを入ります。
その先のすぐ左手奥に、石が露出していました。
きれいな形の石槨(石棺?)でした。
広島県史跡 北塚古墳
平成元年12月26日指定
この古墳は、7世紀後半の古墳時代終末期に造られた古墳で、石槨は6枚の花崗岩の切石を組み合わせた家形をしており、蓋石には家形石棺にみられる縄掛突起が退化したような形が一箇所だけ作られています。横口式石槨の一種と考えられますが、石槨でなく遺体を直接納める家形石棺という説もあります。
古墳の封土は失われ、墳形は不明ですが、昭和57年(1982)の試掘調査により、須恵器の坏や鉄釘が出土しています。
平成25年(2013)3月 福山市教育委員会
開口部正面から。蓋石にちょっと割れ目が。
額田大玉さんは、側壁石の開口部面が、内側が出っ張っているところ(印籠口式)に注目されていました。着目点が、さすがです。
広島県のサイトでは「石棺」となっていました。蓋石の法量は長さ2.34m・幅1.41m・高さ56cm。
広島県の文化財 - 北塚古墳 - 広島県の文化財 | 広島県教育委員会
内部は狭いので見るだけに。
側壁に対して蓋石が大きいです。
斜め後ろから。
説明板にある「縄掛突起が退化したような形」の部分。自動車のボンネットのような感じです。
短辺が気持ちのよい感じの曲線でした。縮小してマウスにしたら手に馴染みそう。