禁野車塚古墳からは南へ、山裾の石宝殿古墳を目指しましたが、その途中の古墳にも寄りました。
太秦高塚(うずまさたかつか)古墳は、太秦高塚町の豊野浄水場西端に立地。
周囲は細道ばかりで車で行くと停める場所に苦労します。
バスの停留所スペースがありますが、結構頻繁にバスが来ていました。
バス停のすぐ後ろが墳丘で、平成14年に古墳公園として整備。
円墳に造り出しが付きます。
造り出しを横から。
墳頂へ階段がついています。
現地説明板。5世紀後半の円墳(造り出し付)です。
太秦高塚古墳 市指定史跡第1号(平成9年11月3日指定)
太秦高塚古墳は、秦・太秦の丘陵上に所在する太秦古墳群で唯一現存する古墳です。平成13年(2001)の発掘調査によって、古墳の形状や保存状況がわかりました。古墳は、全長39m、円丘部の直径37m、高さ7mで、2段に築かれていることがわかりました。1段目の平坦部(テラス)には、円筒埴輪列が巡っていることが確認されました。また、古墳の周りには、幅約7.5m、深さ2mの濠が残っていました。
北西側には「造り出し」と呼ばれる、まつりを行ったと考えられている区画が付いていることがわかり、ここから人物・水鳥・家・盾・衣蓋などの形をした埴輪や土器が集中してみつかりました。
古墳の頂上は盛土が大きく流出して大きく変形していましたが、東側で主体部の一部が残っており、南側より短甲(よろい)・鉄鏃(やじり)。鉄斧(おの)・鐙(あぶみ:馬具で足をかける道具)などの副葬品の鉄器がまとまって出土しました。墳頂部の大きさから西側にも主体部があったと思われます。
出土した埴輪や土器などから、太秦高塚古墳は5世紀の後半に築かれたと考えられます。
古墳は発掘調査後に盛土をして保護し、築かれた当時に近い状態に復元を行いました。
寝屋川市のサイトで調査時の様子が見られます。
テラスに並べられた円筒埴輪は壮観でした。
階段のつく南南西方向。
浄水場のある東方向。
フェンス越しに北方向。
周辺案内には太秦2号公園や寝屋古墳、埋葬文化財センターとはじめとする魅力的な場所がいくつも記されていましたが、時間の都合で次の機会としました。
2023年9月中旬訪問