前回の牧野車塚古墳からは南西に2.7㎞の禁野車塚(きんやくるまづか)古墳へ。
〇〇車塚古墳の3連続達成。
グーグルアースでも、前方後円形がわかりやすいです。
後円部の先端(東)側に、京阪交野線が通ります。
一度も乗ったことのない路線には惹かれます。
踏切そばのパーキングに停められました。
線路を渡って墳丘裾の園路を。
パノラマで。左に前方部が続いています。
その説明板。
史跡 禁野車塚古墳
天野川右岸の低位段丘上に築かれた古墳時代前期前半(4世紀前半)の前方後円墳です。全長120m、後円部径63m、前方部幅55mという規模に復元できます。北河内の古墳のなかでは屈指の大きさで、この地域の歴史的発展を語るうえで不可欠な古墳として、1972年に国史跡に指定されました。
2006年に後円部南東隅(現在位置)で行った確認調査で、地方より約2.5m下で墳丘の裾が見つかったため、2007年に南側の既存の公園部分と合わせ、史跡の追加指定を受けました。
2008年の再測量調査では古墳のさまざまな特徴が明らかになり、倒卵形気味の後円部に撥形の前方部が取り付き、後円部から前方部に至るスロープも明瞭で、奈良県桜井市の箸墓古墳などに類似していることがわかりました。
2011年の後円部盗掘坑に対する確認調査では、石釧などの石製腕飾類や管玉、鉄鏃などの副葬品が出土しました。また、大阪府柏原市芝山産の板石など、石室に使われたと考えられる石材を多く確認し、埋葬施設は竪穴式石室と推測できるようになりました。
このように禁野車塚古墳は、北河内の古墳時代のはじまりを解明するうえで極めて重要な古墳ということができます。
2022年3月 枚方市
墳丘測量図の部分。もとは長軸に対して左右対称の、きれいな鍵形だったようですね。
墳丘南側には遊戯施設も。右の植え込みの奥が前方部です。
前方部のくびれ部あたりから先端方向を。低くてのっぺりしています。
振り返った後円部。笹薮の中に立入禁止の立て札あり。
北側側面にまわると、前方部の高さがわかりました(階段部分)
そこから後円部方向。
くびれに沿ってカーブする道路は、箸墓古墳の裾を思い起こします。
前方部先端から振り返った後円部方向。
前方部の東には天野川。
上流方向は南西。
2023年9月中旬訪問