墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大門古墳 山口県下関市豊浦町大字黒井

益田市の白上古墳から車で2時間半で下関市の大門古墳に到着。

 

ただ古墳の場合、グーグルナビに「目的地に到着しました」と言われてから迷子になる場合が多いです。ここも最初は民家で行き止まり。

 

南側の細道に回り込みます。この真ん中の道。

 

ここで左に。道の脇に停めさせていただいて。

 

ここを上がりました。

 

最初は、宗教的な場所に行ってしまい引き返します。

 

杉林と竹林の間の道を上がるのが正しいルートでした。

 

墳丘が見えてほっとします。

 

足早に。

 

後円部墳頂。


後円部墳頂から前方部。

 

木々の向こうに黒井の集落が。現在の海岸まで2㎞ほどですが視認できず。


前方部先端側。


そこから振り返った後円部。ベンチに優しさを感じます。

 

そして後円部の左側面(北)に降りると開口部。

 

説明板あり。

豊浦町指定史跡
昭和51年7月9日指定
大門古墳
この古墳の発掘調査は昭和61年に豊浦町教育委員会によって行われ、山口県下では極めて数少ない前方後円墳の一つとして、また響灘沿岸最北端の前方後円墳であることが確認された。
この古墳の築造された当時の大きさは、後円部の直径23m、主軸長(全長)34m、前方部の先端の幅17m、くびれ部幅11m、後円部の高さ5mを推測することができ、全体に比べて全欧部は比較的小規模な、特異な形の古墳が推測される。遺骸を葬る施設は後円部の中央に造られた横穴式石室で、その平面形に形だけの羨道を含めて羽子板状を示し、この形はこの周辺以外には例のない響灘沿岸独特の形である。この古墳はいつの時代かに荒らされていたために副葬品から築かれた時代を断定することができなかったが、石室の築き方とわずかに残された遺物から初期の横穴式石室とみることができ、この地に横穴式石室が伝えられた6世紀の石室を知る重要な手がかりをもつ遺構である。墳丘の上からは多数の埴輪片が検出され、くびれ部を中心に円筒埴輪と朝顔形埴輪が立てられていたことを知ることができる。
豊浦町教育委員会

 

後円部(左)と前方部(右)

 

ぴったりサイズで嵌まっているこの土管、どうやって設置したのでしょうか。

 

四つん這いで進んで行くと玄室に。以下、広角レンズです。

 

見事な石積み!

 

広角の効果もありますが、実際にドーム状に、持ち送り式で積まれています。

 

奥壁を背にして。

 

左右で傾きが違うのは当初からの感じ。

 

土管は外側も補強されているようでした。

 

外へ出て一息ついて。

 

後円部の先端裾のカーブ。

 

ここは、がちゃんさんのポストで知って興味を持ち、訪問先に含めました。直近のポストだったので行けることはわかっていましたが、土管の印象から周囲が公園のような先入観を持っていたので、現地で「その差」も味わうことに。

— がちゃん|古代フェス|古代press (@kodaipress) 2023年11月26日

 

平家蟹さんのサイトによれば、土管が埋められたのは1993年だそうです。

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