墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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千足古墳 岡山県岡山市北区新庄下

郁文堂書店 庭瀬店で、はにおさんの本をゲットした後は、北西に5㎞強移動して造山古墳へ。

 

造山古墳の陪塚のひとつである千足古墳。

 

前回訪ねた2019年11月時は、墳丘の復元整備中でした。

 

千足古墳の解説。全長81mの帆立貝形の前方後円墳です。

史跡造山古墳第5古墳(千足古墳)
古墳時代後期(5世紀前半)の前方後円墳です。前方部が短いので「帆立貝形古墳」とも呼ばれます。造山古墳の南に築かれた6基の陪塚の1つです。
2010~2014年に発掘調査され、全長約81m、後円部の直径約63m、後円部の高さ7.4m以上、前方部の幅26m、とわかりました。また、古墳の形にそって掘られた溝が見つかりました。ここから埴輪片がたくさん出土したことから、造られた時は古墳の上に埴輪が並んでいたことがかんがえられます。しかし葺石はもっていません。
後円部には、2つの横穴式石室があります。石室のつくり方は九州地方の影響を強くうけています。石室づくりの九州の人々が関わっていたのでしょう。また、第1石室には熊本県から運ばれた石(天草砂岩)に直弧文というめずらしい文様が彫刻されています。古墳時代の吉備(昔の岡山)と九州の交流をしめす重要な古墳です。

 

円筒埴輪、朝顔形埴輪も整備されています。

 

前方部裾には、盾形、靫形、短甲形の埴輪も復元。

発掘でわかった古墳のすがた
発掘によって千足古墳が前方後円墳であることがわかりました。ただし、ふつうの前方後円墳とは異なり、前方部が後円部に比べて小さくつくられていました。このような古墳を帆立貝形古墳と呼びます。
前方部の上面は後世に削られて失われてしまいましたが、古墳の周りに掘られた溝から埴輪がたくさん出土しました。これらの埴輪は、もとは古墳の上に並んでいたと考えられます。円筒埴輪や朝顔形埴輪の他に、靫(矢を入れる容器)、盾、甲冑をモデルにした埴輪が出土しています。

 

短めの前方部を、後円部テラスから。

 

墳頂への階段、を登る前に2段目テラスを左へ回り込んで石室へ向かいます。


周囲の瓦屋根が美しく。

 

こちらが石室入口。扉は開いています。

 

この、第1石室の解説。

第1石室の特徴
千足古墳の第1石室は、明治45年(1912)に発掘され、銅鏡、玉類、刀剣、斧、甲冑などが出土し、それらは現在、宮内庁と岡山市埋蔵文化財センターで保管されています。
第1石室に入るためには古墳の頂上から坂になった通路を降りていきます。降りていくと玄室前で石の壁で囲まれた空間(羨道部)が現われます。この通路と羨道部は埋まっていて今はみえません。羨道部の奥に遺体をおく部屋(玄室)があります。玄室は安山岩という石を積み上げ、その中に石障と呼ばれる板石で四角い空間をつくります。玄室の大きさは長さ2.9m、幅1.8m、高さ2.5mとなります。羨道部と玄室は玄門で区切られており、ここは大きな一枚岩で閉塞されています。石室全体の造り方は九州北部、石障がある点は九州中部と類似し、安山岩は香川県から運ばれています。石室作りは西日本全域が関わっており、造山古墳を頂点とする吉備勢力の実力を物語っています

 

扉を入るとガラス扉がありますが、ガラスを通して斜め下に石室が観察できました。

 

壁の下部は、直弧文が刻まれた「石障」で囲まれています。

 

壁はレンガのような石をドーム状に組み上げた、肥後地方によく見られる石室タイプ。


扉の内側にはビデオモニターも。下記は奥壁から玄門側の写真。

 

石室を見た後に墳頂へ。目の前が造山古墳。

 

墳頂には「第2石室」の解説も。

第2石室の発見
2013年度の発掘調査では、第1石室の東側で第2石室が見つかりました。第2石室は天井が崩れていたため、全体の姿を明らかにすることはできませんでしたが、全長2.5m、幅2.2m、高さ2m以上の規模とみられます。石室の造りは第1石室とよく似たものであったと思われますが、石障があるのかどうか不明です。第1石室より少し後につくられたと考えられます。千足古墳は5世紀という古い時期の横穴式石室が一つの古墳の中に2基造られている、非常に珍しい古墳であるとわかりました。
石室にたまった土から埴輪が出土しました。円筒埴輪や朝顔形埴輪のほかに、家形埴輪と蓋形埴輪も出土しています。このことから後円部の上にも埴輪が置かれていたと考えられます。そのため、現在では円筒埴輪列を復元し、第2石室の位置を表示しています。


蓋(きぬがさ)形と家形の埴輪も置かれていました。

 

後円部墳頂から見る前方部。

 

前方部の先の山の上には、鬼ノ城の岩肌が白く光っていました。