墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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和田山古墳群(中編:3号墳・23号墳・4号墳・22号墳) 石川県能美市和田町

前回からの和田山古墳群のつづきです。

能美ふるさとミュージアムの裏から丘を上がり、尾根に連なる古墳群を東へ巡っています。

2号墳(右)脇から振り返った1号墳(左奥)

 

次の3号墳。

 

3号墳の脇から振り返った2号墳・1号墳。

 

3号墳と4号墳との間、列から少し外れた位置には、墳丘をほぼ失った23号墳。

 

ここで大量の須恵器が、埋納当時の様子を彷彿とさせる形で出土。文字が刻まれたものも。

和田山23号墳
径22.5mの低い円墳。5世紀末の築造。昭和52年(1977)に発見され、周溝の底に、多量の須恵器が整然と置かれていた。有蓋高坏46個体を長方形状に並べ、その上に脚付壺や器台を置いていた様子が復元できる。古墳祭祀に関わる祭壇と考えられるが、こうした出土状態は全国に例がない。
この中の2点に「未」「二年」と刻まれた漢字が確認された。文字が刻まれた須恵器としては国内最古であり、日本列島における文字の普及状況を知るうえで極めて重要な資料である。

 

出土品や出土の様子は博物館(ふるさとミュージアム)で見られます。

 

その先に4号墳。

 

4号墳の脇から振り返って。左奥の柵内は3号墳。


その先に22号墳。

 

大阪平野の陶邑からの須恵器大甕の破片が出土。

和田山22号墳
径14mの円墳。墳丘が低い。昭和49年(1974)に古墳をめぐる溝が確認された。溝低(こうてい)から能美古墳群中もっとも古い須恵器が出土した。意識的に割って集められた2個体分の大甕破片、杯身・杯蓋各2個体があり、須恵器窯が加賀に伝播する以前、大阪平野の陶邑窯から持ち込まれた。5世紀の前葉から中葉にかかることの築造。
周溝から出土した大甕(高さ42.8㎝)

 

丘上の最初の地点にあった説明板マップ。”現在地”から24号墳~1号墳~2号墳~3号墳~23号墳~4号墳~22号墳まで来たところです。

さらにつづく。