散田金谷古墳(石坂鍋山古墳群)を見た後は南西に16㎞戻り、能登半島の西の付け根の古墳をいくつか訪ねました。
まずは宇気塚越(うけつかごし)1号墳へ。
台地の西端に開発された工業団地の一画に墳丘への案内板が。
入っていくとすぐに墳丘。
4世紀に築かれた、前方後方墳です。
石川県指定史跡 宇気塚越1号墳
指定年月日:昭和51年9月21日
指定面積:4,232㎡
●指定理由
この古墳は県内における古墳文化の伝播を示す資料として極めて重要である。
●説明
この古墳は古墳時代初頭(4世紀)に築造された全長18mの前方後方墳で、河北潟北岸一帯を支配した人物の墳墓と考えられています。箱形の木棺を埋葬したと推定されており、埋葬施設の墓壙からは、ヤリガンナ2点、ノミ頭状鉄鏃1点、ガラス製小玉1点が副葬品として出土しました。
また、東側周溝の底からは、高杯などとともに装飾壺が破砕された状態で出土し、墓前祭が行われた痕跡と考えられています。
そのほか、1号墳の南側では、同古墳に先行する方形周溝墓と考えられる溝状遺構や小鍛冶炉跡(奈良時代後半)と考えられる土壙が確認されています。
平成16年3月 かほく市教育委員会
遺構図の部分。
東側から見る後方部。
南側から。後方部の高さは2m、前方部は0.5m。
前方部があったところが埋めたレンガで示されています(左のライン)
その先っぽはこんな形。前方部先端に土橋状のものがあったのでしょうか。
こちらは方墳とその周溝。二本のラインの間が周溝で、内側に墳丘があったようです。生垣の右は造成で崖状になっていました。
宇気塚越1号墳の墳頂から西方向。
後方部墳頂に3つの埋葬施設があったとのこと。
宇気塚越1号墳(県指定文化財)
宇気塚越1号墳は、古墳時代初期(4世紀)に造られた。南北18m、東西16mの長方形の前方後方墳です。
埋葬施設は3基検出されており、3度にわたり埋葬されたものと考えられます。
かほく市教育委員会
埋め込みレンガで示されたその一つ。
かほく市のサイトには下記の動画もありました。