墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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塚坊主古墳:清原古墳群・肥後古代の森 菊水地区 熊本県玉名郡和水町江田

熊本空港から最初に向かったのは、北西に車で40分くらいの肥後古代の森。

玉名郡の和泉町(なごみまち)にあります。

 

県道16号に向かってそそり立つ、大きな石人。

駐車場に停めて、まずその足元へ。

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昭和63年に設置されたものでした。説明も石刻。

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熊本の古代を代表するものは装飾古墳と石人でありこれらの分布の中心の一つが菊池川流域である。このような歴史的背景から県立風土記の丘および菊水町の万世都整備が進められたものである。石人は5世紀の後半~6世紀の前半ごろ、阿蘇凝灰岩を使用して人物・馬・武具・祭器などを彫刻し、墳丘に立てたもので、これを一般に「石人・石馬」と呼んでいる。筑紫国の豪族磐井の文化圏に分布する特殊な石製品であり、清原台地からも3点見つかっているので古代と現在さらに未来の守護神として設置したものである。
昭和63年3月31日 菊水町

 

そこから南西方向に、塚坊主古墳の墳丘。

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周辺は「肥後古代の森 菊水地区」として整備されています。

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「肥後古代の森」は、菊池川流域のなかで古代の遺跡が数多く残る山鹿市、鹿央町とこの菊水町の3地区からなっています。
菊水地区の南側に位置する清原(せいばる)台地一帯からは、縄文時代の土器・石器が出土し、当時は集落(住居)があったことがわかります。
その後、古墳時代には、国指定史跡の江田船山古墳、虚空蔵塚古墳、塚坊主古墳の3基の前方後円墳を中心として、円墳の京塚古墳、清水原石棺などが点在しており、清原古墳群と総称しています。
虚空蔵塚古墳南側には、国指定重要文化財旧境家住宅を移築し、農具などを展示しています。
また、京塚古墳周辺からは、県指定重要文化財清原石人などが発見されているため、県内出土の主要な石人・石馬の複製品を野外展示し、「石人の丘」として整備しました。
江田川をはさんで、北川に位置する若園台地の裾部には、縄文時代後期の若園貝塚がありその周辺では縄文時代の生活の様子を再現し「縄文のむら」として整備するとともに、全長85mのつり橋を架橋しました。
肥後古代の森周辺では、菊水町立歴史民俗資料館、肥後民家邑などが整備されています。

 

ここには、あの江田船山古墳がありますが、まずは公園の南西端にある塚坊主古墳へ向かいました。

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園内を進んで行くと、きれいな形に整備された墳丘がありました。

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看板には「古墳には登らないでください」と。

 

詳しい説明板もありました。

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国指定史跡 塚坊主古墳
昭和26年6月9日指定
墳丘
塚坊主古墳の墳丘は、開墾などによって周囲を削られて、長さ33m、幅14mの三日月形に変形していたのもを復原したものです。
昭和50年(菊水町教育委員会)、昭和56年(県教育員会)の確認調査で墳丘の平面形、規模等の概要が確認されていましたが、平成4年の保存整備事業に先立つ発掘調査でその全貌が明らかになりました。
墳丘の全長は43.4m、後円部直径29.6m、前方部先端幅20mで、前方部は左右対称にはなっていません。
後円部の直径に対して前方部が短く、約2:1の比率となっています。
墳丘の周囲には、幅4.6m~6mの周溝が巡っていますので、周溝を含めた全長は54mとなります。
墳丘の高さは、後円部で約4.5mの高さに残っていました。石室の構造等からみて、本来の高さは5.5m~6mであったと推定されます。
主体部
主体部は、長軸をほぼ南北に向け、くびれ部に向けて入口をもつ複室の横穴式石室です。
短い羨道(通路)は、人頭大よりやや大きい割石で塞がれています。
前室は小さく、奥行約80㎝、幅1m前後の大きさです。羨門、玄門には両側に袖石が立てられていましたが、東側のものは抜き取られて現存しません。
後室は、奥行約2.7m、幅約2.5mのほぼ正方形で、奥壁に沿って主たる埋葬施設である石屋形が設けられています。石屋形の蓋石は家形で、いくつかに割れており、現在はその一部が残っています。
石屋形の内面には、赤と白の2色で、円文、三角文、菱形文が描かれています。
石室の側壁は、安山岩の割石を小口積みにしています。上部は崩壊していますが、ドーム状に積み上げ、一枚の天井石で塞がれていたものと考えられます。後室と前室の天井石と思われる巨石が各1枚ずつ現存しており、古墳の南側に展示しております。
このような形式の石室は、肥後型石室と呼ばれ、熊本県を中心として分布しています。
装飾古墳の数は全国で約480基余りをいわれていますが、その大半が九州にあり、熊本県には全国の約4割にあたる180基余りが分布しています。なかでも菊池川流域に多く分布し、この地域の特色となっています。
出土遺物
周溝の中から、埴輪と須恵器が出土しています。埴輪は、円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪と人物・鳥などの形象埴輪で、須恵器は、杯、高杯、壷、瓶、𤭯、器台などです。
埴輪や須恵器は、古墳の年代を決める手がかりとなり、この古墳は6世紀の初め頃に築造されたと考えられます。
石室の内部は、何度か盗掘等を受けていましたが、平成2年度の発掘調査により四獣鏡、金環、銀環、ガラス玉、轡、杏葉などの馬具類、直刀、刀子、鉄鏃、鉄滓が出土しました。また、中世に墓として再利用されており、火葬骨、青磁、土師器、石塔の相輪なども出土しています。

 

石室部分の写真。

 

後円部の向こうに前方部が見えます。

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ぐるりと一周します。

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説明板にある天井石。

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回り込むと、石室入口があります。

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もちろんしっかり施錠されています。

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年に一度の公開が、今年の3月に再開されていたそうです(人数に限りがありますが…)

3年ぶりに塚坊主古墳を一般公開します ―令和4年度春の装飾古墳一般公開― | マイ広報紙

近い時期(10日ほど前)に肥後再訪したのですがノーチェックでした…

 

和水町のサイトによれば、中に石屋形があり、内壁に赤・白・灰色で三角文や円文が描かれているとのこと。

塚坊主古墳 / 観光情報TOP / 和水町

youtubeで3DCGが見られます。


www.youtube.com

 

前方部右隅から。後円部に開口部が見えています。

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前方部左隅から。

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周溝も入れて、広角で。

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くびれの形に沿っている周溝。

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一回りして後円部側から。

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桜並木を戻って次の前方後円墳へ。

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(2021年11月訪問)