墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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西谷3号墓(西谷墳墓群史跡公園:出雲弥生の森) 島根県出雲市大津町

出西丸山古墳を見た後は、前々から訪ねたかった西谷墳墓群へ。

斐伊川が平野部に出るその左岸に立地。

 

国指定史跡で駐車場完備。

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道を挟んだ向かいには出雲弥生の森博物館があり、西谷墳墓群からの出土物やジオラマなどの充実の展示を見ることができます。

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駐車場脇にあった西谷墳墓群の説明板。

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国指定史跡 西谷墳墓群
西谷墳墓群は、1953年に多量の土器が出土したことにより発見されました。1983年から1992年の島根大学による3号墓の調査や、1997・1998年の出雲市教育委員会の調査などにより、弥生時代後期後半から古墳時代中期(2世紀後半~5世紀頃)にかけてつくられた総数32基の墳墓群であることが明らかになりました。
墳墓のうち6基は、「四隅突出型墳丘墓」と呼ばれる弥生時代後期後半(2,3世紀頃)の山陰地方独特の墳丘墓です。この墳丘墓は、四角い墳丘のコーナーが舌状に張り出す奇妙な形で、その表面には独特の方法で石が貼られています。中でも、突出部を含めると50mを超える3号墓や9号墓、40mを超える2号墓や4号墓は、弥生墳丘墓としては全国で最大級のものです。
また、調査で出土した土器などから、葬られた権力者たちが吉備(現在の岡山県と広島県東部)地方や北陸地方と密接な交流をもっていたことも明らかになっています。さらに、近くの斐伊川荒神谷遺跡や加茂町加茂岩倉遺跡で出土した、多量の青銅器が埋納された後につくられた墳墓群であることも見逃せないことです。
この西谷墳墓群の出現や青銅器の多量埋納の背景には、弥生時代の出雲に大きな勢力が存在したことが考えられます。近年これを証明するかのように、北側に広がる出雲平野では、日本海沿岸で最大級の弥生時代の集落跡が明らかになりつつあります。
平成12年(2000)3月30日指定
平成13年(2001)3月 島根県教育委員会 出雲市教育委員会

 

出雲弥生の森の全体案内図。丘の尾根上に四隅突出型墳丘墓が並んでいます!

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墳墓群へは少し上るだけだったので、まずは墳丘へ。

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階段を上がった先に、まず4号墓。

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その先を右折すると3号墓、2号墓が見えてきます。

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こちらが西谷3号墓。四隅が舌状に突出。

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現地説明板。

西谷3号墓(四隅突出型墳丘墓)
方丘部は南北30m前後、東西40m前後、高さ約4.5mを測り、突出部を含めると約50mの大形の四隅突出型墳丘墓です。
墳丘の斜面には貼石、墳端には立石・敷石を並べており、墳端の配石構造は2段になっています。
墳頂部の大型埋葬施設2基(第1・4主体)は木棺と木槨の二重構造であり、第1主体からはガラス勾玉・ガラス管玉などの多数の玉類が、中心主体と考えられる第4主体からは鉄剣1振・ガラス管玉などが出土しました。また、墓上から山陰の土器とともに吉備の特殊土器、北陸系の土器が出土しています。第4主体の周りには4つの大きな柱跡が発見されていることから、墓上に4本柱の施設を建てて祭祀が行われていたことが推定されます。
出土土器から弥生時代後期後半(2世紀後半頃)につくられたと考えられます。


もう一枚ありましたが同様の内容。

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立石と敷石が2段に並ぶ「墳端」 

「ここを登っておいで」と呼ばれているように感じます。

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そこから右の斜面。

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左側の先には2号墓。

 

墳頂は広場のよう。

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右が第1主体。左が第4主体で柱が根元だけ再現されています。

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埋葬施設の説明板。

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西谷3号墓の埋葬施設
西谷3号墓には大小8つ以上の墓穴があります。なかでも、墳丘の上に表示したいる「第4主体」と「第1主体」と名付けられた墓穴は、長編が約6mもある巨大なものでした。これらの墓穴には、二重の木棺が納められており、その底には真っ赤な朱が敷き詰められていました。たいへん手厚い埋葬であったことがわかります。
棺の中からは、第4主体で鉄剣と胸飾りが、第1主体で200個以上の玉類(アクセサリー)が発見されています。前者には当時の男王が、後者には女王が葬られていたのではないでしょうか。
また、第4主体では4本柱の跡も発見されました。これら発掘調査の成果から当時の葬儀のようすが明らかになってきました。

 

出雲弥生の森博物館のジオラマでは、埋葬の様子が再現されていました。

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北東側、宍道湖方向の眺め。

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北側には葺石が美しい2号墓。

 

西隣は島根県立出雲商業高校。

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校庭では消防訓練が行われているようでした。

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西側から見上げた3号墓。

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雲がいい感じだったので。


北西側の突出部。

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グーグルアースで。右下が3号墓、左上が2号墓。

 

2021年10月上旬訪問

続いて2号墓へ。