墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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西谷4号墓・5号墓・6号墓(西谷墳墓群史跡公園:出雲弥生の森) 島根県出雲市大津町

3~1号墓を見学後は丘の南側の4~6号墓へ。

北西隅からの4号墓。

 

裾にあった説明板。

西谷4号墓(四隅突出型墳丘墓)
方丘部は南北26m、東西32mを測り、突出部を含めると約40mの大形の墳丘墓です。
墳丘の斜面には貼石、墳端には敷石、その外側には立石を並べています。平面形はきれいな四隅突出型になっておらず、ゆがみが見られることから、地形に合わせてつくられたと考えられます。特に南東突出部は先端まで残っていました。これほどの大きな四隅突出型墳丘墓の突出部が壊れずに残っていることは珍しく、突出部の意味について考える上での大きな成果となりました。
出土遺物は、地元の壺や鼓形器台、吉備の特殊器台が出土しており、これらの土器から弥生時代後期後半(2世紀末)につくられたものと考えられます。

 

4号墓の上から北側を。奥が2号墓、右の木立の後ろに3号墓。

 

4号墓から南を向くと、5号墓。

 

5号墓を南西裾から。

 

その説明板。

西谷5号墓
4号墓の南東に隣接してつくられた墳丘墓です。墳丘は過去に改変されていますが、長辺22m前後、短辺約17m、高さ2m前後の方形または楕円形であったと推定されます。なお、築造時期については不明です。
また5号墓北西の平坦部には土壙1基、南東には番外3号墓がつくられています。

 

5号墓の上から見る4号墓。

 

さらに南の6号墓へ。

上記を右に上がりますがカラスの巣があったようで数羽が大騒ぎ。

 

足早に通り過ぎた先に、おそらくこれが6号墓だと思います。

 

そこから南東側の眺め。

 

斐伊川の上流方向が見えました。

 

もう一度カラスが騒ぐ中を通って駐車場に戻ると、古墳群の全体がよくわかる看板がありました。

なお、博物館のサイトを見ていたら「サル出没注意」ともありました。

 

道路を渡った博物館の北隣には、蓋して保護された横穴墓群も。

 

ここから北東270mほどにある西谷9号墓(三谷神社)は、見過ごしてしまいましたので、いつかまた。