墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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雲部車塚古墳 兵庫県丹波篠山市東本庄

2022年の3月11日から13日にかけて、丹波・丹後と但馬の古墳を巡りました。

最初に目指したのは丹波篠山市の雲部車塚(くもべくるまづか)古墳。

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車で大阪から1時間強程。駐車場はありません。

長軸を東西に向け、盾の形の周濠や、北と南に陪塚を残す美しい古墳です。

 

西側の後円部先端側から広角で。

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後円部北西の、渡り土手側に説明板がありました。

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陵墓参考地 雲部車塚古墳
5世紀初頭頃(古墳時代中期)に築造された前方後円墳である。墳丘は全長140m、後円部径80m、高さ12mで、盾型の周濠を備えている。
周囲には、周庭帯と呼ばれる外堤の痕跡が認められ、さらに培塚と呼ばれる従属古墳を墳丘の両側に配置するなど、非常に整った前方後円墳として知られている。
明治29年(1896)後円部より竪穴式石室が発見され、内部に長持型石棺が納められ、朱が塗られている様子が明らかになった。
出土遺物には甲冑類や武器類を始めとする多くの鉄製品が確認された。
当古墳は丹波地方最大の前方後円墳であり、貴重な遺跡と言える。
篠山市教育委員会

 

英語表記もあるものも。

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雲部車塚古墳
全長140m(復元全長156m)の大型の前方後円墳で、兵庫県で2番目の規模をもちます。周囲には周濠がめぐり、南北に2基の陪塚があります。古墳時代中期、5世紀中頃に築かれたと考えられています。明治時代に東本荘村の人達によって発掘調査が行われ、竪穴式石槨からは長持型石棺や刀や槍など多くの武器や珍しい形の甲冑などが見つかりました。
石槨内部の様子は調査記録を基に復元され、兵庫県立考古博物館で展示されています

 

兵庫県立考古博物館は3年前に訪ね、雲部車塚古墳の竪穴式石槨の復元展示を見ていました。

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”竪穴式”ですが、深くて広く。

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石棺の外は武器庫のようでした。

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大中遺跡公園・兵庫県立考古博物館常設展 兵庫県加古郡播磨町大中 - 墳丘からの眺め

 

現地の様子のつづきです。

 

宮内庁の御触書も。

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墳丘の北側面。左端は陪塚。

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周濠は、たっぷりと水を湛えています。

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陪塚へは行けそうです。

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墳頂に上がらせていただいて雲部車塚古墳を。左が前方部、右が後円部。

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後円部に沿うカーブです。濠の外側の”周庭帯”もわかりやすいです。

 

振り返った北側。

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前方部右裾側からの墳丘。

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こちらにも御触書。

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柵の向こうに渡り土手。

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そこから左(南)に、前方部先端側の堤。

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前方部左裾側からの墳丘。

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墳丘南側の堤に沿って、県道の篠山京丹波線が通ります。

左端に見えているのが南側の陪塚。

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陪塚の先100m位に篠山川が流れています。

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陪塚に上がらせていただいて雲部車塚古墳を振り返って。左が後円部。

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陪塚から西方向。篠山城跡までは8㎞ほど。その20㎞ほど西で加古川に合流します。

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南東方向から合流する籾井川を遡って、天引峠を越えると亀岡に抜けます。

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後円部の縁に戻って一周しました。

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道路の表示板の古墳マークは、周濠がちょっと裾拡がり過ぎている感じでした。

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