今回からは2022年1月15日・16日で訪ねた、東大阪と奈良桜井の古墳旅です。
伊丹空港着陸前に見えた大阪城とビル群。
空港からリムジンバスで上本町駅へ。そこから近鉄奈良線で石切駅で下車。
スマホの乗換案内アプリのお陰で、革命的に便利になりました。
奈良から来た電車は尼崎行。奈良と灘がつながっているのは意外な感じでした。
駅を出たのは午前9時でした。
東大阪観光案内部は左が北。お寺が沢山、ところどころに古墳も。
南北に伸びる生駒山地の西麓です。石切駅は、なんば駅と奈良駅のほぼ中間。
駅を出るとすぐに石切劔箭神社の鳥居。神社参拝は、近鉄けいはんな線の新石切駅が最寄りです。
近鉄奈良線の高架下トンネルからは石垣が素敵な坂道が見えます。
最初に目指したのは千手寺の境内にある弁天塚古墳(神並6号墳)
裏門の向こうに墳丘が見えます。
門の上から。
ズームで。柵がありますが、見事な石組の大きな開口部です。
弁天塚古墳(神並・こうなみ6号墳)
下記の朱鳥さまのサイトによれば6世紀後半の円墳で、玄室長4.8m・幅1.8m・高さ2.5m、羨道長4m・幅1.5m。須恵器、土師器、耳環、四耳付短顎壺、甕、台付壺などが出土しているそうです。
東側に回ってお寺の正面へ。
山門の左側には、在原業平公の腰掛石。
参拝をして本堂右へ向かうと…
残念ながら、古墳の風化が進んで安全性確保のため、当面の間は見学中止とのことでした。
広くはなくとも、隅々まで手入れの行き届いたとても清々しい境内でした。
山門から西側の眺めです。
千手寺から150mほど南西には、整備された東石切公園がありました。
公園から西の斜面には、正興寺の墓地。
ズームで。西南西13㎞先の、あべのハルカス。
北西方向にも平野が広がります。
大阪中心のビル群も見えました。
この日はここから山裾を南へ向かったので、大阪平野平野を見晴るかす眺めがずっと続きました。
公園の一画にあった石碑。2万年前の人の痕跡が残る場所でした。
正興寺山遺跡とその周辺
生駒山から西にのびる尾根の先端にあたるこの地は、かつて正興寺山と呼ばれる小円丘でした。この山は大阪層という第二紀鮮新世から第四紀最新世(洪積世)にかけて形成された地層の露頭であって、ここからはナイフ形石器という約二万年前の石器が採取されています。この石器は大阪と奈良との境にある二上山に産するサヌカイトを使用し、石刃核より縦長の剥片をとる技法によって製作されたもので、ものを切る道具と考えられています。石器が採取された地層はその後の整地によって無くなりましたが、付近には二つの横穴式石室をもつ夫婦塚古墳など数基の古墳からなる神並古墳群が残されています。
東大阪市教育委員会