墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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快天山古墳 香川県丸亀市綾歌町富熊

観音寺市の赤岡山古墳を見た後は北東へ25㎞程、国道377号・32号を伝って丸亀市の快天山古墳へ。北からの尾根の先端部分の立地。

 

住宅地の裏手の坂を上がると車の停められる広場がありました。地図は上が南。

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詳細な解説板。 

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史跡 快天山古墳
国指定 平成16年9月30日
快天山古墳は、古墳時代前期中頃(4世紀中頃)の前方後円墳では四国最大の規模をもちます。
昭和25年に香川県教育委員会が地元の久栄中学生と共に刳抜式石棺の発掘調査を行い、平成13年からは綾歌町教育委員会が墳丘の調査を行いました。その結果、後円部頂には3基の刳抜式石棺が埋葬され、墳丘には円筒埴輪を巡らし、墳丘斜面部は葺石で覆われていたことがわかっています。
立地:丸亀市の南東部、横山山麓から南に向かってのびる尾根先端部に位置しています。墳頂からは丸亀平野南部を見わたすことができます。
古墳の形態:墳丘全長は98.8m、5世紀初頭の富田茶臼山古墳139m(さぬき市大川町)、5世紀前半の渋野丸山古墳105m(徳島県徳島市渋野町)に次いで四国で3番目の大きさです。
前方部を上方、後円部を下方に向けた配置にしており、讃岐地域で築造される全欧後円墳の特徴がみられる古墳です。
尾根先端部の眺望が開けた所に、高さが10mを超える後円部を設け、前方部と平行な高さになる造りは、周辺から古墳を大きく見せることを意識したものと考えられます。
外表施設:後円部および前方部の斜面には2段の平坦部を設け、そこには壺形埴輪を載せた円筒埴輪が3m前後の間隔で並べられていました。また、墳丘斜面全体には葺石が敷設されていたものと考えられています。
埋葬施設:後円部頂にある3基の刳抜式石棺は、墳丘軸に合わせて南北方向に埋葬されています。石棺は鷲ノ山産(角閃石輝石安山岩)製で、棺の形態や棺の内側に石枕を丁寧に作り付けていることから、全国的に最古級の石棺として評価されています。これらの石棺は現在埋め戻され、その位置を後円部頂に示しています。

 

素敵な名前の古墳ですが、下記のサイトにて、近くにあった円福寺の住職快天の卵塔があったことに由来すると知りました。

丸亀市観光協会 まるがめ婆娑羅マップ

 

さきほどのサインから先へ行くと小さな土盛りが。まさかこちら…

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ではなく、その先に大きな前方後円墳がありました。立札が前方部端。

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前方部先端側から。木立の中の最高地点が後円部墳頂。100mに近い全長です。

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鞍部から後円部を。

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上記から見た左(東)側。こちらは北東側から続く台地部分。

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後円部には石碑(中世)が。

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後円部の先は切れ落ちています。後円部が丘を見下ろす方向を向くという特徴。

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後円部端から前方側を振り返って。

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墳丘の一部にはシートが。「計測機器修理中」とありました。

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快天山古墳を守る会のサイトによれば、2021年11月24日に、12月から始まる発掘調査の事前説明会が行われたとのことでした。

https://www.facebook.com/pages/category/Community/%E5%BF%AB%E5%A4%A9%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8B%E4%BC%9A-191728627974468/


後円部墳頂から2基の石棺が見つかっています。

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史跡 快天山古墳 第2号石棺
史跡快天山古墳の第2主体で採用されている第2号石棺は、鷲ノ山(高松市国分寺町)で産出された角閃安山岩を刳り抜いて作られている。断面形状た竹を縦に割ったようであることから「刳抜式割竹形石棺」と称される・
それまでの木棺に変わるものとして、国内で最初に作られたものが第2号石棺である。
棺は竪穴式石槨に収められている。北枕で、棺身には造り付けの石枕を有する。
棺蓋の両側には太い縄掛突起がつくが、棺身には縄掛突起をもたない。
棺底で発見された歯は、30代前半の女性のものと鑑定されている。

 

丸亀市のサイトにも、「近年の研究の結果、刳抜式の石棺としては、日本で一番古いものとされています」と記されていました。

 

3号石棺の解説。

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史跡 快天山古墳 第3号石棺
史跡快天山古墳の第3主体に採用されている第3号石棺は、鷲ノ山(高松市国分寺町)で産出された角閃安山岩を刳り抜いて作られている。断面形状が竹を縦に割ってようであることから「刳抜式割竹形石棺」と称される。
棺は粘土槨に収められている。北枕で、棺身には装飾性の高い造り付けの石枕を有する。
棺蓋・棺身共に華奢な縄掛突起をもつ。
他の2棺からは北方にずれた位置に埋葬されており、後に埋葬されたことがうかがえる。
棺底で発見された人骨は、20代半ば~30代前半の男性と鑑定されています。
丸亀市教育委員会

 

1号石棺の説明板は撮りそびれましたが、こちらのサイトに写真がありました。

快天山古墳 – 全国こども考古学教室

 

3号石棺の解説板越しに前方部方向を。

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