八葉寺から県道69号を会津若松方面へ向かう途中で。
喜多方では雄国山の背後にあった磐梯山も、稜線がしっかりと視野に。
逆側、西方向の会津盆地。そろそろ日が傾いてきました。
今回の会津墳行で最後に訪ねた墳丘は天子宮(てんしのみや)古墳でした。最初に訪ねた会津大塚山古墳の北約1㎞の地点で、同じ一箕古墳群に含まれます。
会津中央病院の西側、会津大学の東側の住宅地にあります。
小高くなったところの茂みがそれらしい。
住宅街の細道を上っていくと、民家の敷地脇に墳丘が。
回り込んでいくと壇のような墳丘が。
道路から踏み跡があったので登らせていただきました。
墳頂から西方向。会津大学の先に会津盆地が開ける方向ですが、草丈が高く視界なし。
振り返った東側の会津中央病院。
一旦墳丘を降りて回り込んだ西側から。
「東北古墳探訪」によれば、”畑の中にある”独立した古墳で、未調査ですが三段築造・直径50mの円墳と推定され、末端部分は耕作によって判別しにくいものの南西方向に微高地が伸びていることから全長約80mの前方後円墳の可能性もあるそうです。
(微高地とは5枚目の写真あたりですね)
また、平成16年度に南側畑部分を市道拡張のため発掘調査した結果、平安時代と中世に属する掘立柱建物跡の集落跡が検出されたとのこと。
(4枚目の写真のあたりですね)
マップには天主の宮ともありますが、江戸時代、墳丘にキリスト教会があったことが由来であると、OBITOさんのサイトで知りました。