墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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灰塚山古墳(遠望) 福島県喜多方市慶徳町新宮

亀ケ森・鎮守森の3.5㎞北に灰塚山古墳のピンが立つ。

やはり会津盆地の西端だが、阿賀川の北側で現在の喜多方市内になる。

 

ピンを目標に進んで着いた場所。

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すぐ先の小さな十字路から直線距離で300mほどのようだったが、 細道の突き当りが民家のようだったのでここで引き返した。

 

携行にしていた「東北古墳探訪」の灰塚山古墳の項にある「田のあぜ道をすぎた森林の中にあり、わかりにくい」との解説も参考にさせていただきました。

 

奥の小山が墳丘だと思い込んでズームで撮りましたが…

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右の細道から撮ったので、赤屋根の左にあるはずですね。 

 

 

灰塚山(はいづかやま)古墳はWikipedia に詳しい解説がありました。東北学院大学が8次にわたる調査を行っていて、調査報告書が公開されているからだと思います。

https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2018/pdf/no06_03.pdf

 

墳形は前方後円墳で、全長61.2m・後円部径33.2m・前方部長27.6m。古墳時代中期頃の築造と推定されるそうです。
杵ガ森・臼ガ森古墳や亀ヶ森・鎮守森古墳と同じ宇内青津古墳群に含まれ、その最北端に立地。

埋葬施設は箱式石棺1基・木棺2基からなり、箱式石棺からほぼ全身の人骨が、棺内外から銅鏡や大量の鉄製品などが検出されています。

大量の鉄製品や箱式石棺の採用にはヤマト王権との強いつながりが想定され 、「会津地方は古墳時代前期から中期に至ってヤマト王権との関係性が薄れた」とされる通説の見直しが示唆される古墳となるとのこと。

 

 

さきほどの位置から振り返った東側。 

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右の茂みの先には、中世の会津新宮城(国史跡)があります。

さらに南に1.5㎞には古墳時代の豪族居館跡とされる古屋敷遺跡(国史跡)があり、その首長を灰塚山古墳の被葬者とする説があるそうです。(Wikipedia「灰塚山古墳」より)

 

同じ位置から北側。古代の雰囲気を感じました。

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今回、あまり茂みに入らなかったのは、熊が怖かったからでもあります。 ラジオ福島のサイトに貴重な情報が掲示されていました。

「目撃情報」なので、森と人里の間が多くなるのだと思いますが、それは古墳の立地とも重なるところ大ですね。

rfc熊目撃情報マップ - Google マイマップ