高坂1号墳がある高済寺の前の道路にて、東方向。 下りの坂道で手前側が台地端になる。
右に並ぶ住宅三軒の後ろの木々が、高坂2号墳があるあたりだった。
住宅街から入っていくと新しい感じの公園があった。
公園の北端に残っている高坂2号墳。
その手前に真新しい解説板。
遺跡がいっぱい!公園で見つかった歴史
~高坂館跡・高坂二番町遺跡~
発掘調査で、弥生から江戸時代までの様々な遺構・遺物がみつかりました。
古墳時代初めごろ(約1700年前)につくられた、一辺8mもある大きな住居跡からは土器のほか、勾玉もみつかりました。集落の中心的な役割を持つ施設と考えられます。
古墳時代後期(約1500年前)の古墳跡からは、円筒埴輪・朝顔形埴輪のほか、盾を持ち、古墳を守る人を表現した埴輪(盾持人埴輪)もみつかりました。
墳丘(古墳の盛り土)が残っている高坂2号墳は公園内(この看板の右手奥)で大切に保存してあります。
中世・武士の館跡もみつかりました。特に戦国時代の堀跡は、深さ3mもあり、戦乱の世のすさまじさを物語る遺構です。
昔の人の歴史を未来に伝えていくために、この文化財を大切にしましょう。
東松山市教育委員会
公園は、発掘調査を終えた遺跡の上につくられていました。下図の青色の「古墳跡」は、調査時点で墳丘を失っていた高坂4号墳だそうです。
ふっき~さんのサイトにて、発掘調査中の様子をうかがうことができます。
埼玉県東松山市 高坂古墳群 2号墳 4号墳 5号墳 | 古墳探訪記
高坂2号墳の墳頂から北東方向。
振り返った公園側。
半円を描く園路は円墳の周溝跡のように見えますが、さきほどの図をみると異なる場所でした。
そんな半円周が2か所。
さくら坂公園の案内板。
ぴかぴかの遊具もありました。
公園という憩いの場も必要ですが、遺跡と共存させていただけたらと強く思います。
検索していたら、発掘調査終了時の見学会時の、わかりやすいパンフレットがありました。 →遺跡見学会「高様館跡・高坂二番町遺跡」平成30年2月11日
上記のパンフには、すでに削平された高坂3号墳の横穴式石室の平面図も載っています。
昇寛さん、ぺんさん、ぶじんさんのサイトにて、調査で出土した石室側壁の様子がわかります。
ふっき~さんのサイトでは、盛り土が存在していたときの姿をみることができます。