墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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千年塚 茨城県鹿嶋市宮中

前回の稲荷塚古墳(3号墳)の300m程東に、千年塚(2号墳)がある。これも宮中野(きゅうちゅうの)古墳群の鶴来(かくらい)支群に含まれる1基。

 

稲荷塚古墳の前の道に案内表示板が立っていた(小さくて、なぜか低い位置にありますが)

駅のほうから直接来る場合に、心強い気持ちで歩けると思います。

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軽自動車なら入ってこれると思いますが、見通しがわるい道です。

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道沿いにもイノシシのわなが。

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千年塚も道路沿いでわかりやすい場所にありました。というか、2基のために道が整備されたのでしょう。

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ここにも4か国語の説明板。長方形に残った墳丘ですが元の形は不明だそうです。

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千年塚
千年塚は6世紀頃に造営されたとされる鶴来(かくらい)古墳群の一つです。東西32.6m、南北は20.8m、高さ3.4mの長方形の古墳ですが、削られているので詳細は不明です。この塚は伝え話によりその名を残しました。
昔、鹿島神宮に卜部活麿(うらべのいくまろ)という神官がいて、彼は非常に鶴を可愛がっていました。あるとき彼は鶴の背に乗って北の方に飛び去っていきました。3年経って鶴の背に乗って帰って来た活麿を、人は天人とか鶴の化生と言って尊敬しました。
皆が驚くほど長生きした活麿の死後、彼の霊を祀った塚は「千年塚」と呼ばれ、鶴と遊んだ丘は「鶴来(かくらい)の丘」と呼ばれるようになったと伝えられています。

 

道の側は急な斜面でしたが、端のほうの傾斜がゆるやかなところから登らせていただきました。

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墳頂のようす。

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大木も。 

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この墳丘にも、所せましと

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墳丘から、道側を。

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向かいの林の木々も密だった。

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道路脇の案内は英語表示の方が詳しい。形は破魔矢

「S10 左折 Turn left for Kashima-Jungu Station」

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少し先は急に開けて普通の住宅地に。

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宮中野古墳群分布図によれば、その位置から右手の高い藪の先に円墳(124号墳)が残っているはずですが、取りつく島もなし。

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前方後円墳(39号墳)の印がある場所へ向かってみましたが、ヒントもつかめませんでした。

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このあと駅を経由して鹿島神宮へ向かいました。