墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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旧京都中央電話局上分局 京都府京都市上京区駒之町

京都旅行2日目。しばらくは建築巡りになります…

朝一で向かったのは鴨川沿い、神宮丸太町駅の近くにある旧京都中央電話局上分局。

旧東京中央郵便局(KITTEの改築前)を手掛けた吉田鉄郎の作品。

 

駅のある鴨川左岸から建物を遠望(中央)

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遠望だと、塔の上部屋根端が寄棟状の三角屋根であることがわかる。

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朝日が浴びる壁面。

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台形の妻部分、地上から続く壁面の凹み、その中の楕円形の窓、背後の張り出し、軒下に連続する正方形など、複雑な意匠がまとめ上げられている。

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河畔に面して散歩道。 

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三連の縦長窓は、一階ではアーチと融合する。

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川辺から見上げて。

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北側、丸太町通りの壁面。

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窓の下は手前に向かって傾斜する。

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現在1階はスーパーとして使われている。

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上記から中に入ってまっすぐ進むと、奥のドアから中庭のようなスペースに出た。先ほどの塔の裏側。右下にスポーツクラブの入口がある。

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引いた位置から。建物はコの字形に続いている。

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スーパーの入っている部分。

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てっぺんには、こちら側にも楕円窓がある。 

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張り出し部の下をズームすると、丁寧なレンガ貼り(積み?)の様子がわかった。

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よく見ると、斜め貼りのある壁面。 

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丸太町通り側。

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敷地境の壁も当時からのものか。

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通りを渡ったところから。

大屋根の斜面が裾のほうで曲面になっている。

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三連の縦長窓がリズミカルに続く。

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3階より上の屋根裏(?)の採光窓が可愛らしい。

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昨年湯島で見た企画展では、建物の設計図を間近で見ることができた。

 

 いただいた図録にあった、解説頁。

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吉田の初期における代表作の一つで、北ドイツの民家を思わせる急勾配の屋根、弓型の屋根窓、塔屋などのモチーフを用いて新庁舎の存在を強調しつつ、屋根・庇・壁柱などの表現によって京都の景観への適応を図っている。柱・梁・床スラブがRC造で壁体はレンガ造という混構造になっているのが、この時期の電話局の特徴。吉田の上司で課長の内田四郎が考案した流水防火装置(火災時に窓の上部から見ずが流れ落ちる仕組み)の設置が義務付けられていたこともあって、窓が縦長となっている。(18頁)

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企画展で見た現物。 

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市電のレールまで書き込まれた完成図もありました。 

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縦長窓は実用性を取り込んだ意匠であったことを、上記図録を改めて読んで認識しました。

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屋根裏の採光窓は川側にも。

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複雑な屋根の形状はグーグルアースで確認できる。

 

宿へ一旦戻る途中、祇園四条駅から祇園河原町駅へ鴨川を渡って路線を乗り換えた。

橋を渡っていて素敵な建物に気づく。 

文字は右からで「北京料理 東華菜館」とある。

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エントランスの凝った装飾に惹かれた。

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後で調べると、大正15年(1926)に竣工したビアホール(当時)で、設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。

西洋料理店「矢尾政」の二代目店主・浅井安次郎氏が施主だったが、戦時で洋食レストランが継続できなくなり、友人であった山東省出身の于永善氏に建物が託されて昭和20年末に北京料理店「東華菜館」が開業。現在の「東華菜館洛北店」は現店主・于純政氏が、平成5年に開いたそうだ。

【東華菜館の歴史】古き良き伝統 京都の東華菜館

【ヴォーリズ建築・調度品のご紹介】古き良き伝統 京都の東華菜館

 次の機会にぜひ、こちらで食事をしたいと思いました。

 

川と反対側の路地も魅力的。

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ちなみに鴨川の対岸にも、モダンな建物が。

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こちらもレストランで、なんと同年の大正15年の築。

西洋料理の「菊水館」は、以前は瓦せんべい屋さんであった創業者の奥村小次郎氏が、ハイカラな西洋館でおいしい西洋料理を食べてもらいたいとの思いを込め、当時西洋文化の最先端であった上海に行って学んだのだそう。

大正5年創業、京都祇園の老舗洋食店の歴史|レストラン菊水

 

きっと浅井安次郎さんとは良きライバルだったのでしょう。