2018年12月24日、2ヶ月ほど前に予約を入れていた「旧日向別邸」を見に熱海へ出かけた。新聞記事で長い修復期間(2019/1~2022/3)に入ると知ったので。
熱海へは、東海道線で東京駅から2時間弱の旅。
駅から徒歩5分の好立地。
駅前のバス通りを東に下り、途中で右の枝道を上って静かな住宅街へ。
上がりきって振り返ったところ。
そこから南に下る階段がある。
水平線が現れた。
降りたところに玄関と「日向別邸」のガラス製説明板があった。
重要文化財 旧 日向別邸
ブルーノ・タウト「熱海の家」
大阪の実業家・日向利兵衛が、1934年から1936年にかけて建てた別邸。庭園の下に設けられた地下室を利用してつくられた離れは、日本の文化と風土を愛したドイツ人建築家ブルーノ・タウトの設計によるもので、タウトが日本に残した唯一現存する作品です。
ここでは、自然との調和、タクトが追求し続けた多様な色彩空間への取り組みとともに、彼の感性がとらえた日本的なものと西洋的空間を、独自の手法で表現するという意欲的な試みがなされています。
木造二階建の上屋の設計は、東京銀座和光の設計などで知られる渡辺仁によるものです。
2004年11月、東京在住の女性の寄付を受けて熱海市が取得しました。
一瞬、日にちを間違えたかと思うほど静かだったが、ドアノブに「開館中」の札が架かっていた。
入館料300円を納めて中へ。10人ほどのグループで、ガイドに従って見学するシステムだった。11時の回の、時間前に着いた。
窓の外には芝生の庭。建物は傾斜地に建っていて、この庭を屋根とする地下が、ブルーノ・タウトが設計した部屋(社交室など)になっている。
施主の日向利兵衛(ひゅうがりへい:1874~1939)は、燐の輸入などアジア全域での貿易商として活躍し、東洋海上火災保険などの会社経営にも関わって財を成したが、別邸完成の3年後に65歳で亡くなっている。
地下といっても海に向かって大きな窓が続いているので「地下室」の雰囲気ではなかったが。
視線の先には初島。
その右には大島も望めた。
残念ながら「地下室」は撮影禁止。
玄関脇の傾斜の緩い階段を下りると3つの部屋(計130㎡)が奥へ続いていて、手前に床や壁の木材が美しいダンスホール(卓球部屋)、次がパンフにもある「えんじ」色の洋間、奥に一段高くなった和室。
洋間にも和室にも、海側には大きな開口部があり、山側は徐々に数段高くなって上は小さな舞台のようなつくりになっていた。
階段から先は立入禁止だったが、段に腰かけるとちょうど目線に相模湾が広がる高さとなっていることがよくわかった。
とても気持ちの良い空間だった。
熱海市観光協会のサイトに何枚か写真が掲載されている。
https://www.ataminews.gr.jp/s/spot/116/
ブルーノ・タウト(1880~1938)は1933年にナチス支配下のドイツから脱出し、スイス、フランス、ギリシア、イタリア、トルコ、ソ連を経てシベリア鉄道経由で、敦賀港から来日。京都・桂離宮など各地を訪ねた後、高崎で2年過ごして1936年にトルコに招聘されて離日、1938年にイスタンブールの自邸で58歳で亡くなった。
一見地味な”地上”の建物は、ホテルニューグランドや銀座和光、原邸(原美術館)を手掛けた渡辺仁(わたなべひとし:1887~1973)の設計だった。
修復が終わる3年後(2022年)が楽しみ。
帰路、グーグルマップにあった「東山洞」へ寄り道した。 日向別邸の北東側、崖下側の二車線道沿いにトンネルがあった。
トンネル入り口から左を見たところ。海が近い。
凝った”ファサード”で扁額もあった。
距離は短く、すぐに突き当たる。トンネルも私有地のようだった。
トンネルの先にあった端正な建物。
急勾配の屋根には教会建物のような趣がある。
あとで調べると、なんと吉田五十八の設計になる杵屋六左衛門別邸とのことだった。
建物前から振り返った東山洞。杵屋六左衛門別邸のために掘られたのだろうか。
この日は噴行はせず、日向別邸の余韻に浸りながら帰った。