浅間塚古墳からは鉄砲山古墳へ向かう。
県道から戻ると遠くなりそうだったので、神社の南側の小道へ入った。
その先で、右の森に入る小径を見つけた。
細いがしっかりした小径。奥の明るい場所が墳丘のようだ。
そこから右手が浅間塚古墳(前玉神社)だが、 木々の繁茂で確認はできず。
林の先に鉄砲山古墳。いい感じの演出効果がありました。
ひざ丈ほどの草むらを進んで後円部脇の説明板へ。
鉄砲山古墳
形状:前方後円墳
全長:112.0m
後円部:径56.0m 高さ9.0m
前方部:幅73.0m 鷹さ9.8m
(平成2年2月現在)
古墳群中3番目に大きな前方後円墳で、西側くびれ部に造り出しがあります。堀は調査の結果、他の古墳と同様、二重にめぐっていることがわかりました。
堀からは、円筒埴輪のほか、土師器、須恵器の破片が発見されています。
古墳の築造年代は、6世紀後半と考えられています。
なお、古墳の名称は。江戸時代に忍藩が砲術練習場として使用したことに由来します。
ここもQRコードで博物館の解説サイトへ飛べる。後で確認すると発掘調査中の横穴式石室入口の写真を見ることができた。
この後に博物館でいただいた資料によれば、石室天井は緑泥片岩の板石、壁材は角閃石安山岩を四角く加工したものを角を組み合わせて積み上げていく方法で作られているとのこと。
石室内部は未調査で形状や規模は明らかではないが、地中レーダー探査では石室全長が10m以上である可能性が指摘されているそうだ。
前方部から後円部方向。
この時点で、そこに横穴式石室があったことに気づいておらず、濡れた草が繁っていたので近寄らなかったことを後悔(柵の外から何かが見られるのか否かはわかりませんが)
グーグルアースには、調査の様子が残っているようでした。
前方部先端側から。右奥が後円部。
墳丘の北西側。左寄りのくびれ部に近いところが「角場(砲術演習場)遺構」で、射撃の的である「安土」が立っていた。
埼玉県立さきたま史跡の博物館では、鉄砲山古墳の発掘調査の成果に関する企画展が実施されている(2020年11月29日まで)
発掘された大小の鉄砲玉。
遠眼鏡レンズや、雷管を入れたらしい革製品なども出土。
発掘調査では多量の埴輪片が出土。その大半は円筒埴輪だったが、形象埴輪も。
形象埴輪のひとつ、蓋(きぬがさ)形埴輪。左が大きな軸。右が上部に破片。
円筒埴輪は突帯が9条あるものも出土(左端)
「9条」は埼玉古墳群から出土した円筒埴輪では最も多い条数になるとのこと。
横穴式石室の羨門前から出土した須恵器の大甕。大阪の須恵村で焼かれたものと確認されている。
公式サイトはこちら。