前回の仮又古墳からは南東に4㎞ほどの塚原平(つかはらびら)古墳へ。
グーグルマップで「古墳」と入力すると、周辺に幾つもピンが立つのですが微妙に距離が離れていて回りきれず。
塚原平古墳は国越古墳への道すがらだったので選びました。
北西から伸びてきた台地先端の立地。道路沿いです。
大きな説明板。横穴式石室から出た人骨が20体分あったとのこと。
塚原平(つかはらびら)古墳
塚原平古墳は今から約1400年前(古墳時代後期)に造られた直径約15mの円墳です。造られた当時は、墳丘を取り囲むようにして幅3m程の溝がめぐり、墳丘上には数多くの円筒埴輪が立てられていたようです。
主体部は横穴式石室で、床面は中央の通路を中心にして奥・右・左の三カ所に区別され、複数の遺体を安置できるように造られています。
石室内には耳環・勾玉などの装飾品や武具・馬具・須恵器などが副葬されていました。また、この古墳は数十年にわたり利用されたためか、約20体もの人骨が納められていました。ひとつの古墳からこれほどまとまって人骨が出土した例は全国的にも珍しく、当時を知るうえで極めて貴重な古墳です。
説明板の石室写真。
宇土市のサイトによれば、昭和53年(1978)に発掘調査があり、石室は単室両袖型で、閉塞石が最終追葬時の原位置のまま残っていることが判明したそう。複数の人骨は出土物の状況から築造から7世紀前半にかけて追葬されたものと考えられるとのこと。
網目状の格子扉ですが、奥にもドアがあって閉まっています。
現地ではわからなかったのですが、そばにあった屋根庇つきのこちらが閉塞石だったことを、obitoさんのサイトで知りました。
墳丘を背面側から。
墳丘から南方向の眺め。九州新幹線の高架が写っています。