こちらは前回の鉄砲山古墳の前方部先端。
上記の位置で後ろを向くと、奥の山古墳の後円部先端がある。
下記のマップの8番(鉄砲山古墳)と7番(奥の山古墳)との間に立っている。
奥の山古墳の東側側面に正対して。左が前方部、右が後円部。
前方部右裾から。
中央が奥の山古墳前方部、その右に後円部、さらに右端に鉄砲山古墳前方部が写っている。
奥の山古墳では現地説明板を撮れなかったが、博物館が2020年に発行したガイドブックによれば、1967年から2012年にかけて整備を目的とした調査がなされ、その結果、墳丘全長66.4fm・後円部径38.4m、墳丘西側造出し・方形二重周堀を有することが判明している。
墳丘造出しから円筒埴輪・形象埴輪・須恵器が出土。須恵器では関東では類例が少ない装飾付子持壺が出土。
奥の山古墳の築造順序は瓦塚古墳の後、将軍山古墳と鉄砲山古墳の前の、6世紀前半と考えられるそうだ。
ちなみに下記の「散策サイト」によれば、周堀の北西側の一部は、後から造られた鉄砲山古墳によって壊されているとのこと。
また地中レーダー探査の結果から、埋葬施設は「箱式石棺」である可能性が高いとも記されている。